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「野球選手として死んだと思った」大ケガからの再起 長岡秀樹はヤクルト復活のカギを握る (4ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

 髙津臣吾監督が長岡に寄せる期待について「一昨年ができすぎだったのか、去年ができなかったのかは別として」と前置きして、こう続けた。

「僕は失敗も勉強のうち、成功のもとだと思っています。そのためのヒントはできるだけ与えて、いろいろな経験をさせてあげたいですね。『1年経ってあまり変わらなかった』じゃダメだし、『少しでもうまくなったね』『野球の考え方が成長したね』となっていかないといけない。彼にとってはすごく大事な時期だと思っています。

 打順に関しては、8番でのびのび打たせているので、しっかり8番打者の役割ができれば、得点力の中心はもちろん村上ですけど、もっともっと上がってくると思います。今のチームのラインアップを考えると、2番に入ってくれるのが一番ですが、今のままではダメです(笑)」

 そして長岡は「若手の底上げの中心になりたい」とも言う。

「ずっと強いチームであり続けるには、若い人が出てこないといけないので、そこを引っ張っていきたいという気持ちはあります」

 練習ではよく声を出し、先輩・後輩に関わらずピッチャー陣とも会話する光景をよく見かける。なにより謙虚な姿勢が印象的だ。

「どうなんですかね。正直、もともとそうだったかと言われたら、そうではなかったです。やっぱり先輩たちの背中を見て、絶対にこうしたほうがいいとか、こうならないといけないと思ったことがたくさんあったので......。先輩方の背中を見て学んでいるところです」

 昨年12月には、千葉県船橋市にある児童養護施設『恩寵園』を訪問した。

「地元も近いですし、これからも続けていこうと思います。施設の子どもたちのいろいろな事情も知りましたし、子どもたちのためにも、今年は結果を出したいですね」

 長岡が昨年抱いた「悔しさと情けなさ」を糧に新たな成長を見せれば、チームは優勝戦線に加わるはずだ。

長岡秀樹(ながおか・ひでき)/2001年9月26日、千葉県生まれ。八千代松蔭高から19年ドラフト5位でヤクルトに入団。3年目の22年に開幕スタメンを勝ちとると、安定した守備でレギュラーに定着。初の規定打席に到達し、ゴールデングラブ賞を獲得した。背番号も58から7に変更となり、23年はさらなる飛躍を期待されたが、打率.227と精彩を欠いた。24年は不動のレギュラーとしてチームを牽引したい。

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著者プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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