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「野球選手として死んだと思った」大ケガからの再起 長岡秀樹はヤクルト復活のカギを握る

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

 ヤクルト・長岡秀樹が、昨年の「悔しさと情けなさ」と、10月の宮崎フェニックスリーグで負った右ヒザの大ケガを乗り越えて、沖縄・浦添での春季キャンプを無事完走した。

 長岡はキャンプ終盤に入った頃、「レギュラーを一から獲りにいく立場ですし、目指すところは『長岡は本当のレギュラーだ』と、みなさんから言われる選手になることです」と答えた。

「優勝もBクラスも経験させてもらって、やっぱり優勝っていいなと本当に思いましたし、なんとかチームの優勝、日本一の中心にいたいという気持ちが強いです。それためには僕自身がレベルアップしなければいけない」

 言葉は力強く、今シーズンへの期待を感じさせるものだった。

再起を誓うヤクルト・長岡秀樹 photo by Koike Yoshihiro再起を誓うヤクルト・長岡秀樹 photo by Koike Yoshihiroこの記事に関連する写真を見る

【失意の2023年シーズン】

 一昨年、長岡は高卒3年目にして開幕スタメンに抜擢。思いきりのいい打撃と、試合を重ねるごとにショートの守備も成長し、139試合に出場。ゴールデングラブ賞にも輝いた。そして昨年、「なんとしても続けて結果を出すんだ」と覚悟をもって4年目のシーズンに挑んだ。

「自分でも大事なシーズンになるとわかっていました。先輩からも"2年目のジンクス"であったり、『この世界は続けて結果を出さないと成功と言わないよ』と聞かされたり......気持ちの準備はできていたんです」

 守備でこそ成長を見せた長岡だったが、打撃の面で大きく苦しんだ。早出練習は欠かさなかったが、打率は長く1割台に低迷。最終的に打率.227、3本塁打に終わった。

「進塁打が打てず、バントもできず、チャンスを潰してしまい、チームの勝利に貢献できなかったことは悔しくて......。本当に実力がなかっただけですし、『こんなものか』と自分に失望しました」

 自分への厳しい言葉が続くなか、「この経験を絶対に生かさないといけない」と、昨年10月のフェニックスリーグに参加した。

「参加したメンバーでは、僕が一番試合に出させてもらったので、誰よりも結果を出さないと情けないでしょうという気持ちでした。打つほうも状態がよく、実際に結果が出ていたのはよかったんですけど」

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著者プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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