「野球選手として死んだと思った」大ケガからの再起 長岡秀樹はヤクルト復活のカギを握る (2ページ目)
だが10月24日のソフトバンク戦で、またしても長岡に大きな試練が訪れた。8回表の守備でファウルフライを追いかけ、レフトの澤井廉と激突。ふたりとも起き上がることができず、救急車で運ばれる事態となった。
ちなみに、それまでの成績は打率.462、1本塁打。課題としていた送りバントは、6回試みてすべて成功させていた。
「ぶつかった瞬間は野球人生が終わったかなというか、自分で右足を動かせなかったですし、自力でユニフォームを脱ぐこともできなくて、救急隊員の方にハサミで切ってもらいました。その後、レントゲンやMRIを撮っている間は、ずっと痛みで吐き気がしていました。膝前十字じん帯断裂かな、もう動かせないな......野球選手としては死んだなと思いましたね」
【またゴールデングラブ賞を獲りたい】
検査の結果、最悪の事態は回避。12月上旬には、戸田球場でランニングやノックといった屋外でのリハビリメニューが始まった。
「徐々によくなっている実感はありました。これならキャンプに間に合うと思いましたけど、(一軍に)帯同させてもらえないかもと思ったりもしました。1月の(青木宣親や村上宗隆らとの)自主トレも行かせてもらえない感じだったのですが、トレーナーさんに『頼むから行かせてください。もう何でもできますから』と、何度も頼んで許可をもらったんです」
ケガで失った時間については、「そこは全然取り戻せていないです」と言った。
「トレーニングもバッティングも、もっとやりたいことがあったのですが、何もできなかった。でも考えても仕方ないので、今できることをやろうと。どうしても一軍キャンプに行きたかったですし、自主トレも参加したかったので、何とか思いながらやっていましたね」
1月は前述したとおり、宮崎で青木や村上らとの自主トレが実現。
「僕の野球人生において、本当にタメになることばかりでした。ただやみくもに練習するのではなく、体の使い方だったり、いろんな考えを持ちながら野球することができました。すごくいい時間だったなと思います」
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