オリックス強力投手陣の礎をつくった? 増井浩俊が入団2年目の山本由伸に送ったアドバイス (3ページ目)
【野球人生の誇りは?】
── 失礼ながら、2020年から増井さんの成績は下降線をたどり始めました。
増井 スピードボーラーが増え、まわりの投手の"スピード化"についていけない部分がありました。2023年の1月27日に現役引退の決意を固めたことを発表したのですが、現役続行の意思はありました。
── 現役13年間で通算551試合に登板して、41勝47敗163セーブ、防御率3.08。全球団からセーブを挙げるという記録も達成しました。
増井 プロ入り当初は「一軍で1勝できれば」と思っていたのが、1年目に3勝できたことで、次は「通算30勝」「通算500試合」など、どんどん欲も出てきました。大学・社会人ドラフト5位で、しかも26歳でのプロ入りだったということもあり、通算成績については満足しています。
── 現役時代に一番つらかったこと、悔しかったことは何ですか。
増井 オリックスは2021年から3連覇しましたが、そこに加われなかったことはつらかったです。日本球界に復帰した平野佳寿さんや比嘉幹貴さんら、自分より先輩の方がまだ頑張っています。そういう方の存在がなければ、もしかしたら自分の気持ちも割り切れたのかもしれません。いつも「40歳まで現役」「通算600試合登板」「少しでも多くセーブを......」という目標を掲げていたからこそ、プロの世界でできたのかもしれません。
── 逆にうれしかったことは。
増井 2017年のWBCで日本代表に選出されたことです。入りたくても入れないですからね、結果は準決勝でアメリカに負けましたが、日本の最高峰の選手たちと一緒に野球できたことはうれしかったですし、本当にいい思い出になりました。
増井浩俊(ますい・ひろとし)/1984年6月26日、静岡県生まれ。静岡高から駒澤大、東芝を経て、09年ドラフト5位で日本ハムに入団。11年に先発からセットアッパーに転向すると、12年には最優秀中継ぎのタイトルを獲得。14年からクローザーを任され、15年は39セーブをマーク。16年はシーズン途中から先発に転向し10勝をマークして日本一に貢献した。17年オフにFA宣言してオリックスに移籍。18年は63試合に登板し35セーブを挙げる活躍を見せたが、20年以降は思うような結果を残せず、22年に戦力外通告を受けた。現役続行を希望していたが、他球団への移籍はかなわず引退を決断した
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