オリックス強力投手陣の礎をつくった? 増井浩俊が入団2年目の山本由伸に送ったアドバイス

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

増井浩俊インタビュー(後編)

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 日本ハム、オリックスで13年間プレーし、先発、中継ぎ、リリーフを経験した増井浩俊氏。また、ダルビッシュ有、大谷翔平、山本由伸らとともにマウンドを守り、2017年のWBCでは日本代表として世界と戦った。現役を引退した今、何を思うのか。

若き日の山本由伸(写真左)と増井浩俊氏 photo by Sankei Visual若き日の山本由伸(写真左)と増井浩俊氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【救世主となって日本一に貢献】

── 2016年は先発、抑えの両方を経験しました。30試合に登板して、そのうち8試合に先発(2完投)。10勝3敗10セーブ、防御率2.44。広島との日本シリーズにも2試合に先発し、日本一に貢献されました。

増井 シーズン前半にリリーフで打たれる試合が多くて、ファームで調整ということになった時、栗山英樹監督に「ちょっと長いイニングを投げて再調整をしようか」と言われました。でも僕は、ストッパーをクビになったと思って「嫌です。まだできます!」と提案を拒否しました。悔しかったですね。

── プロ入り当初は先発希望でしたよね。

増井 それがいつの間にかリリーフが好きになっていて、抑えの仕事に魅力を感じるようになってしまいました。チームの勝利の瞬間、マウンドでの握手......。"守護神"と称されるのは、チームでただひとり。そういう存在でいたかった。

── 2016年はソフトバンクとの最大11.5ゲーム差を、日本ハムが15連勝などで大逆転。先発に回った増井さんは"救世主"となって、高い評価を得ました。

増井 結局、先発として調整することになり、その時期にチームが上昇し、最後に戦列に加わって"救世主"的な扱いをしていただきました。でも、抑えに誇りを持っていただけに複雑な心境でした。そんなこともあって、翌年は希望して抑えに復帰させてもらいました。

── 2017年のオフにFA宣言してオリックスに移籍しました。FA移籍で結果を残すのは難しいと言われるなか、初年度にいきなり63試合に登板して2勝35セーブ、防御率2.49の成績を残されました。

増井 FA宣言をして、日本ハム、巨人、オリックスが手を挙げてくれました。なかでもオリックスは、守護神である平野佳寿さんのメジャー挑戦とタイミングと重なったこともあり熱心に誘ってくれました。双方の思惑が合致し、移籍となりました。移籍1年目はそれなりの成績を残せましたし、意地は見せられたかなと思います。

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