DeNA松尾汐恩が語る甲子園の思い出「一番印象に残っているホームランは...」「最後の夏に負けた時はホッとした気持ちもあった」 (4ページ目)
すでにプロの野球にアジャストしている松尾のクレバーさを鑑みれば、西谷監督の指導が大きかったことは想像に難くない。また内野手だった松尾が捕手になったのも西谷監督の導きだった。
「最初はキャッチャーと言われ、『ええっ!?』と思ったんですが......けどやってみないことにはわからない。結果、キャッチャーをすることでこうやってプロへ進めましたし、そこは本当に感謝しています」
極端なことを言えば、どんな指導者と出会うかによって、その後の野球人生が変わることは珍しくない。松尾の場合は、もちろん本人の努力もあるが、西谷監督との出会いがプラスに働いたと言っていいだろう。
大阪桐蔭での3年間をあらためて振り返ると、どんな日々だっただろうか。
「野球はもちろんなんですけど、やっぱりあの3年間は全寮制だったので、親のありがたみをすごく感じましたし、生活面も含め、いろいろな部分で成長させてもらいました。みんなで勝ちを味わえたことはうれしいことでしたし、一方で気の強い人間の集まりなので、いろいろ難しいところはありましたが、すべての面ですばらしい経験ができたと思います」
そう言うと松尾は感慨深い表情を見せた。「じゃあ、あの世界にもう一回戻りたいと思いますか?」と尋ねると、「それはちょっと厳しいですねぇ」と松尾は笑った。
青春の輝きは、その時だけのものだ。
そして19歳の今夏、松尾は一軍で活躍する日を夢見て、自分をとことん追い込み、プロの選手として成長することを誓う。
「まだまだ暑いので熱中症対策をしっかりして、毎日特訓に打ち込んでいきたいと思います!」
著者プロフィール
石塚 隆 (いしづか・たかし)
1972年、神奈川県出身。フリーランスライター。プロ野球などのスポーツを中心に、社会モノやサブカルチャーなど多ジャンルにわたり執筆。web Sportiva/週刊プレイボーイ/週刊ベースボール/集英社オンライン/文春野球/AERA dot./REAL SPORTS/etc...。現在Number Webにて横浜DeNAベイスターズコラム『ハマ街ダイアリー』連載中。趣味はサーフィン&トレイルランニング。鎌倉市在住
甲子園を彩ったスター選手たち
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