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板東英二が驚愕した杉浦忠の剛速球。ルーキー江藤慎一は弾丸ライナーで本塁打にした (6ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by 産経新聞社

 選手を公正平等に見る杉下の慧眼は、江藤のバッティングセンスを看破していた。大器に育てるべく指導も一貫していた。

「ああ見えて繊細で、やたらヒットをほしがるんですよ。バッティング練習でも最初はちょこっちょこっと当てるんです。それじゃあだめだから、お前は全部レフト方向へ引っ張れと伝えました。インコースはもちろん、重要なのはアウトコースにくるボールを引っ張るんだと。投手の心理として、レフトのほうへ全部打っていけば、インコースのほうには放ってこないと。それで踏み込んで行って身体をぶつけるような感覚で振りきれば長打になる。ホームランキングになった森徹は右中間に打つタイプだったけど、とにかく、お前は全部レフトに向けて振れ!というのが、最初のキャンプで徹底した江藤への指導方針でした」

 張本勲が語っていた「右投手のスライダーをレフトに放り込む稀有な右バッター」(※第1回参照)のスタイルの原点がここにあった。

 杉下は西沢の抜けた穴を埋めるべく、森と江藤を徹底的に打ち込ませた。鈴木コーチの陸上トレーニングもトロッコを利用しての体幹強化も相当ハードであるが、それに特打、特守が加わる。

 杉下の記憶は、自身が巨人軍投手コーチをしていた時代の練習と比較する。

「よく江川(卓)が入ってきたときのジャイアンツの伊東のキャンプ(1979年10月~11月)が地獄だったと話題になりますが、我々がやっていた頃はあれぐらいの練習が普通だったですよ」

 江川、西本聖、角三男(※当時の登録名)、山倉和博、中畑清...、特別強化指定の18名の若手のみを集めて、風呂場で脱衣しても湯船に入る前に倒れるように眠ってしまうというほどに徹底的に鍛えあげた伊東キャンプと同等の負荷を江藤は新人キャンプでかけられた。

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