2021.10.30

王貞治が「特別な存在だった」と讃える男。江藤慎一は史上初めて両リーグで首位打者となった

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by 産経新聞社

昭和の名選手が語る、
"闘将"江藤慎一(第1回)


1960年代から70年代にかけて、野球界をにぎわせた江藤慎一という野球選手がいた(2008年没)。ファイトあふれるプレーで"闘将"と呼ばれ、日本プロ野球史上初のセ・パ両リーグで首位打者を獲得。ベストナインに6回選出されるなど、ONにも劣らない実力がありながら、その野球人生は波乱に満ちたものだった。一体、江藤慎一とは何者だったのか──。ジャーナリストであり、ノンフィクションライターでもある木村元彦が、数々の名選手の証言をもとに、不世出のプロ野球選手、江藤慎一の人生に迫る。

中日ドラゴンズで活躍した江藤慎一(中央)。左は寺田陽介、右は長谷川繁雄。(1962年2月24日撮影)中日ドラゴンズで活躍した江藤慎一(中央)。左は寺田陽介、右は長谷川繁雄。(1962年2月24日撮影)  受話器の向こうからは、スタジアムの喧騒が漏れ聞こえる。人数制限がなされているとはいえ、試合前の熱気はそれでも押し止められることなく、福岡から東京まで電波を通じて流れてきた。今から野球が始まるというBGMに乗せてソフトバンクの王(貞治)会長の声が被さる。

「本当のプロ野球ファンからしたら、大変人気のある面白い選手だったと思いますよ。ファンの気持ちを揺るがすというか、くすぐるというか、わき立たせるというか。そういう特別な存在だったと思います」

 その特別な存在に世界のホームラン王は三冠王を2度阻まれている。

「東京オリンピックのあった1964年に首位打者争いで敗れました。あれは私が一本足から、二本足に戻そうと考えていた年ですから、忘れられない年として特に印象に残っています」

 王は1962年にホームラン王の座に就くと、翌年も連続してタイトルを獲得。一本足打法は当初あくまでも暫定的に取り入れたものでこの3年目に元に戻そうと試行錯誤をしてみたが、結局自分にはこれしかないと確信したという。

 この年、王は年間本塁打55本という日本記録(当時)を樹立、4打席連続アーチも記録してまさに脂の乗りきったシーズンであった。

 その絶頂期の王の前に立ちはだかったのが、江藤慎一だった。

 戦後初の三冠王を目前にして9月になっても首位打者だった王を猛迫し、ついには2厘差で差しきった。翌年も江藤はケガに悩まされながらも連続してリーディングヒッターを獲得する。

 当時はミスターこと、長嶋茂雄もまたその勝負強さを発揮し続けており、巨人9連覇の始まった1960年代は3番王、4番長嶋のシナジー効果もあってセ・リーグの打撃タイトルはこのふたりの寡占状態だった。そこに江藤は猛然と割って入った。1967年のオールスター(第2戦)では、ONを前後に置いてオールセントラルの4番を打った。