「大谷翔平の打球音はショットガン」ドジャースタジアム場内アナウンサー、トッド・ライツが語る「SHOHEI OHTANI!」の衝撃 (3ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

【「この球場で世界一の瞬間を味わわせてほしい」】

――PAアナウンサーになる以前のキャリアを教えてください。

ライツ 1985年からロサンゼルスに住んで、俳優としてTVやコマーシャルに出ていました。それから10年間、ラジオのニュースレポーターやアンカーを務めました。OJ・シンプソン事件(*3)の頃です。PAアナウンサーの経験はなかったが、2014年にサンディエゴ・パドレスがアナウンサーを公募していて、それに応募。1000人から始まる数カ月に渡る長い選考過程で、私は最後の3人に残ったが、結果は2番で選ばれませんでした。すごくガッカリしたけど、2015年にドジャースが新たに募集をしていて、採用されました。今年で10年目になります。

*3/元アメフトのスター選手の妻の殺害容疑を巡り、全米中の注目を集めた一連の騒動。1994年にシンプソンが逮捕され、翌年に裁判が行なわれた。

――子供の頃の好きな野球チームは?

ライツ ニューイングランド出身だからレッドソックスファンだった。ただトミー・ラソーダがいたドジャースは好きだった。1970年代後半から80年代初めのドジャースは強くて、よくワールドシリーズに出ていたからね。チームカラーのブルーも好きだった。

 その後、家族でカリフォルニアに移り、本当にドジャースファンになった。野球は大好き。子どもの頃は実際にプレーしていたし、大人になってからもソフトボールチームに所属し、同じリーグで34年間プレーしているよ。若い頃はパワーもスピードもあって、打球を遠くまで飛ばせました。

 今は60歳で、子どもと同じ年頃の若者と一緒にプレーしています。私は長く野球を愛してきたし、今も飽きることはありません。だからこの年齢で大谷のような今まで見たことがない高いレベルの野球選手に出会え、同じ球場で働けることがとてもうれしいです。

 PAアナウンサーである私は、常に選手を支える立場。チームの一員のように感じているので、選手が私の声を聞いて、士気が上がってくれれば、よりうれしいですね。

――スタジアムアナウンサーとして81試合のホームゲームはすべて担当しています。これまでに休んだことは?

ライツ 10年間で休んだのは6試合だけ。先月は結婚36周年でホームのコロラド・ロッキーズ3連戦は休みを取り、妻とバケーションを楽しんだ。それは例外で、基本これからも全試合働くつもりです。

――大谷選手は10年契約、彼の最終年まで、つまり70歳近くまで働けそうですか。

ライツ さて、どうなるかな。ひょっとしたら同じタイミングで引退したりするかもしれませんね。ドジャースに雇い続けてもらえるよう、これからもベストを尽くしていきますよ。

――最後に大谷選手に望むことは?

ライツ ドジャースに世界一をもたらし、この球場で世界一の瞬間を味わわせてほしい。そして優勝パレードでロサンゼルスの街を行進したいですね。

*  *  *

 ゲームが終わると、球場にライツさんのアナウンスが流れる。

「Thank you for attending tonight's game.Hope to see you back here at Dodger Stadium very soon. I am Dodgers public announcer Todd Leitz. Good night everybody.(今晩の試合に来てくれてありがとう。また、すぐにお越しください。私はアナウンサーのトッド・ライツです。みなさんおやすみなさい)」

 球場に来るファンは、ライツさんの声で盛り上がり、そして最後は見送られるのである。

著者プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

甲子園を彩ったスター選手たち KKコンビetc.

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