【高校野球】今も色褪せぬ60年前の記憶 三池工が甲子園でつかんだ栄光と炭鉱の街を包んだ伝説の150キロパレード (3ページ目)
その偉大なるOBから、三池工への進学を勧められたからこそ、今があると自覚している。
「もちろん、甲子園で優勝したことのあるチームだということと、私たちの頃の三池工は力のある選手がある程度揃っていたので、そういうところで野球ができるよという話はいただきました。中学3年間、原貢さんの指導を受けた方から私も教わったので、知らないうちにそういった教えが入っているのかもしれませんね」
【現役部員とOBたちとの積極的交流】
その教えや記憶を後年へと継承すべく、生徒たちにも積極的に働きかけを行なっている。学校創立100周年の2008年には、原辰徳さんがビデオレターで祝福。野球部のOB会総会などの集まりに現役部員も参加させ、当時の映像などを流しながら、先輩たちと積極的に交流を図らせている。
「最近では学校の歴史をあまり知らないまま入ってくる部員も多いです。全国優勝した時は、原辰徳さんのお父さんが監督をしていたことや、パレードの映像や写真を見せて、大牟田市にこんなに人がいたということを伝えたりしています」
全国的に私学優勢の流れは、福岡県も例外ではない。2000年代に入ってからの四半世紀で甲子園に出場した公立校は、戸畑(2000年春、2005年春)と、東筑(2017年夏、2018年春)の2校のみ。今夏は134校132チームが出場した激戦区を勝ち上がるのは至難の業だ。それでも高校球児の目標は甲子園出場に他ならない。
「本当にあのパレードに集まったファンの数は衝撃でした。またなんとか甲子園に出場して、大牟田の街に活気を取り戻したいですね」
あの夏から幾重の年月が過ぎようとも、三池工が果たした偉業が色褪せることはない。今年も生い茂る月桂樹は、変わることなく、2度目の聖地出場を待ち続ける。
著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう
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