【月刊・白鵬】横綱が打ち明けた「あの事件」の真相 (3ページ目)
先の九州場所(11月場所)では、思わぬ出来事がありました。13日目、11月20日に日本相撲協会の北の湖理事長が急逝されました。私は、あまりにも突然のことで、心にぽっかり穴が開いたような感覚になってしまいました。
この場所が始まる前、秋場所(9月場所)を途中休場した私は、出場するか否か悩んでいました。しかし、私は出場を決断。36回目の優勝を目指して、それを実現する強い気持ちを持っていました。
そして、初日が始まって徐々に相撲勘を取り戻してきた私は、中日まで8戦全勝。横綱であっても、まずは勝ち越すことが第一の目標ですから、それを決められてホッとしました。その結果を受けて、私は10日目の栃煌山戦で、これまでやったことのない猫だましを繰り出してみました。これがまた、相当な物議を呼んでしまいましたね。
ともあれ、12日目まで全勝を続けた私ですが、13日目に日馬富士と対戦。動きがキレていた日馬富士に、私の体はついていけていませんでした。寄り倒しで、この場所初の黒星を喫しました。
すると、その後の14日目(照ノ富士戦)、千秋楽(鶴竜戦)は、もはや息切れ状態。ともに、まったく自分の相撲が取れず、簡単に寄り切られてしまいました。まだ62歳で、志半ばでこの世を去った理事長のためにも、優勝という結果を残したかったのですが、それは叶いませんでした。
思わず「私ももう歳なのかなぁ~」と弱気になってしまいましたが、理事長が亡くなられたショックを引きずっていたのも確かです。終盤は、張り詰めていた糸が完全に切れてしまったようでした。
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