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【プロレス】藤原喜明が語る新日本への復帰と、アントニオ猪木との一騎打ち 乱闘を起こした前田日明は「正直すぎる」

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

関節技の鬼 藤原喜明のプロレス人生(15)

(連載14:第1次UWFの崩壊 スーパー・タイガーと前田日明の不穏試合に、藤原喜明は「いい試合だったよ。ただ......」>>)

 プロレスラー藤原喜明はサラリーマンを経て、23歳で旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。アントニオ猪木、カール・ゴッチの薫陶(くんとう)を受け、道場で関節技の技術を磨き、新日本プロレス最強伝説の礎を築いた。

 そんな藤原が激動の人生を振り返る連載の第15回は、新日本プロレスへの復帰と、アントニオ猪木との一騎打ちについて語った。

1986年2月のシングルマッチで、猪木の首を絞める藤原 photo by 平工幸雄/アフロ1986年2月のシングルマッチで、猪木の首を絞める藤原 photo by 平工幸雄/アフロこの記事に関連する写真を見る

【新日本への復帰は「本意ではなかった」】

 格闘技プロレスを標榜したUWFは、旗揚げから1年半後の1985年9月に活動を停止した。社長の浦田昇が恐喝の疑いで逮捕されたのに加え、巨額の資金を提供していたスポンサーが、悪徳商法で問題となった企業の関連会社だったことなど、団体に激震が走った。

 UWFは生き延びるべく、新日本プロレスとの業務提携を決断した。

 新日本にとっても、UWFとの提携は低迷した人気を回復させるための希望でもあった。前年の9月に、長州力ら「維新軍団」や、永源遙といったベテラン選手が離脱彼らは大塚直樹率いる新日本プロレス興行に合流し、同社は10月9日にジャパン・プロレスへ改称、その後はライバルであるジャイアント馬場率いる全日本プロレスに参戦した。

 人気を支えていた日本人のスター選手たちの離脱で、興行での集客、テレビ視聴率も低迷。全日本からブルーザー・ブロディを引き抜いたが苦戦が続いた。カンフル剤が欲しかった新日本と、行き場を失ったUWF――両団体の思惑が重なっての業務提携だった。

 1985年12月6日、新日本の両国国技館大会のメインイベントが始まる直前、藤原は前田日明、木戸修、高田伸彦(現・延彦)、山崎一夫とともにリングに上がった。前田がマイクを持ち、「この1年半のUWFでの闘いが何であったかを確認するために、新日本に来ました。試合を見てください」と観客に挨拶した。

 そしてUWFの5人は、メインイベントを闘うアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳(現・辰爾)、木村健吾(現・健悟)と握手を交わし、リングを降りた。そんな新日本へのUターンは、藤原にとって複雑だったという。

「一度やめたところに戻るっていうのはな......たとえるなら、離婚した女ともう一回くっつくようなもんで、俺の本意ではなかったよ。多少の屈辱感はあったな。だけど、生き残るためには仕方がなかった」

 入門間もない頃から付き人を務め、モハメド・アリ戦などを"縁の下"で支えていた猪木との再会に、感慨はあったのだろうか。

「別になかったな。俺らは、新日本に"使われている"わけだし、前にいた時とやることは一緒だったよ」

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