羽生結弦が一時は諦めたソチ五輪の金メダル「五輪の本当の怖さを知った......」
連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
最終回 羽生結弦 #2
今年2月に開催されたミラノ・コルティナ五輪では、団体戦を含め史上最多となる6個のメダルを獲得した日本フィギュアスケート。その偉大な功績は、これまでの日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩があったからこそだろう。
2002年ソルトレイクシティ大会から2022年北京大会に出場した日本人フィギュアスケーターを振り返る本連載最終回(第14回)は、2014年ソチ五輪と2018年平昌五輪を連覇するなど数々の金字塔を打ち立ててきた羽生結弦のキャリアを振り返る。2回目は、初の五輪出場となるソチ大会への道のりについて。
初出場の五輪となる2014年ソチ大会で金メダルを獲得した羽生結弦 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る
【パトリック・チャンに敗れて学んだこと】
目標にしてきた2014年ソチ五輪へ向け、「4年間の集大成としての思いを込めてやりたい」と語った羽生結弦は、2013−2014シーズンのショートプログラム(SP)を前季の『パリの散歩道』で継続。フリーへの意識を重視する決断をした。そしてそのフリーには、音楽自体は異なるものの、飛躍の契機となった2011−2012シーズンと同じ『ロミオとジュリエット』を選んだ。
「曲が違うのでまた違った雰囲気で滑れると思うが、大学生になって体力もついてきたので、あの頃とは違った勢いもある。東日本大震災があったシーズンに(スケートが)できたことは今の自分にとってはものすごく大事だし、あの演技をもう一回今できるとは思わないけど、今できる最高の『ロミジュリ』をやっていきたいです」
そう決意のほどを語った羽生は、構成についても4回転サルコウのあとに4回転トーループを入れる新たな構成に挑むことを決めた。しかし、その精度はなかなか上がらず、ソチ五輪シーズンはもやもやしたスタートになった。
GPシリーズのカナダ大会はSPでミスがあり3位と出遅れ。フリーもジャンプのミスが複数出て総合2位まで順位を上げるのが精一杯だった。さらにフランス大会ではSPで自己最高得点をマークして2位につけながらも、フリーでは最初の4回転サルコウが氷の溝にハマってパンクし、4回転トーループも転倒。歴代世界最高得点を出したパトリック・チャン(カナダ)に30点以上の差をつけられての2位に終わった。チャンにはカナダ大会に続いての敗戦だった。
しかし、羽生はチャンと2戦連続で直接対決ができたことを喜んでいた。彼の細かい身体の使い方や表現に対する意識などを大会中に学んだという。加えて、SP、フリーとも歴代世界最高得点を記録したチャンと比較し、自分自身がどんな部分を強化していけば追いつき、追い越せるかを考えることができた、と。
実際、羽生はその学びの成果をすぐに発揮した。フランス大会から3週間後のGPファイナルでは、課題とした演技構成点の向上によってSPで歴代世界最高得点を更新し、チャンに10点以上の差をつけて首位発進。フリーは最初の4回転サルコウで転倒したものの、そのあとは完璧に決めて当時の世界歴代2位の得点となる合計293.25点を記録して優勝した。そこで、ソチ五輪でチャンと対等に戦える手応えを確かにつかんだ。
12月の全日本選手権ではSPで自身初の100点台をマーク。フリーでは「まだ経験不足」と話していた冒頭の4回転サルコウで転倒したが、あとはきっちりまとめて非公認記録ながらも合計297.80点を叩き出し、圧勝で初の五輪代表を決めた。
「周囲もピリピリして緊張するなか、自分のベースは守れました。それはGPシリーズのすべての試合で、パトリック選手と戦えていい経験があったからだなと思っています」
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

















