「僕なりの4回転半ができた」最後の五輪、羽生結弦がこだわったジャンプの美学
連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
最終回 羽生結弦 #4
今年2月に開催されたミラノ・コルティナ五輪では、団体戦を含め史上最多となる6個のメダルを獲得した日本フィギュアスケート。その偉大な功績は、これまでの日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩があったからこそだろう。
2002年ソルトレイクシティ大会から2022年北京大会に出場した日本人フィギュアスケーターを振り返る本連載最終回(第14回)は、2014年ソチ五輪と2018年平昌五輪を連覇するなど数々の金字塔を打ち立ててきた羽生結弦のキャリアを振り返る。締めくくりとなる4回目は、4回転アクセルと北京五輪への挑戦、そしてプロ転向までの歩みについて。
2022年北京五輪フリーの羽生結弦。冒頭では4回転アクセルに挑んだ photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る
【最終的な羽生結弦の理想像とは】
2018年平昌大会で五輪連覇を達成したあと、次なる目標として4回転アクセルへの挑戦を口にした羽生結弦。2018−2019シーズンへ向けては、「もう自分が勝つとか負けるとかに固執しすぎる必要はないと思ったので、自分のために滑ってもいいかなと思いました」と、憧れたフィギュアスケーターの使用曲を新たなプログラムにすると発表した。
ショートプログラム(SP)は、ジョニー・ウィアー(アメリカ)が使用した『オトナル(秋によせて)』。その選択について羽生は、「男性だからこそ出せる中性的な美しさと、ジャンプのランディングの美しさに憧れました」と説明した。
一方、フリーで採用したのは、「五輪の金メダルを獲りたいと思うきっかけを作ってくれて、そのプログラムに圧倒的なオーラを感じた」というエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)が演じた『ヴァーツラフ・ニジンスキーに捧ぐ』。その曲のうち2曲を選んで『Origin』と名付けたプログラムだ。
新プログラムのお披露目は2018年9月のオータムクラシックだった。膝に痛みがある状態での出場とあって、優勝はしたものの、ミスが出て合計は263点台にとどまった。
この時のフリーでは、シークエンス扱いで基礎点が8掛けになる4回転トーループ+トリプルアクセルを入れようとした羽生。その理由については、「世界初を意識しているわけではなく、今はスコアにしばられることなく演技ができているので、その意味で自分ができ得る最高のコンビネーションジャンプがこれだと思ったから」と説明した。
続くGPシリーズ・フィンランド大会では、SPで106.69点をマーク。フリーでは世界初となる4回転トーループ+トリプルアクセルを披露し、減点はありつつもしっかりと着氷して見せた。羽生自身、決して納得しきれない内容だったものの、得点は190.43点。合計297.12点と、SP、フリーを含めてすべての得点で新ルールでの世界トップスコアを記録した。
しかし、2週間後のロシア大会で負傷。フリー前の公式練習で4回転ループの着氷時に右足首を痛めてしまった。「靱帯損傷は間違いないと思った」と振り返る羽生。通常ならその先を考えて、棄権もやむなしという状況だったが、すぐにリンクをゆっくり回りながら、試合でどういう組み立てにするか確認作業をした。
「このままだと全日本選手権も厳しいので、(試合で)何をしたくて、何を削るかと考えました。ここまでやったトレーニングが自分にとってはすごく重いものだったのでここで諦めたくなかったし、今、そのトレーニングの成果を出したいと思いました」と、羽生は強行出場を決断。4回転3本構成で終盤は力尽きる滑りになったが、合計278.42点で優勝を決めた。
その後、GPファイナルと全日本選手権は棄権。4カ月後の世界選手権で復帰したが、SPは3位発進と出遅れた。それでも、フリーでは4回転4本構成をひとつのミスだけに抑え、4回転トーループ+トリプルアクセルもきれいに決めてシーズンベストの206.10点を叩き出した。合計得点は300.97点まで伸ばしたが、SPとフリーをノーミスでそろえたネイサン・チェン(アメリカ)に20点以上の差をつけられ、悔しい2位に終わった。
両プログラムを継続して臨んだ2019−2020シーズン。「前季の世界選手権からこのシーズンが始まっていると思っている」と話していた羽生。前シーズンで挑んだ4回転トーループ+トリプルアクセルは「得点としてうまみがなかった」として、このシーズンでの導入は見送った。代わりに、GOE(出来ばえ点)加点を意識した演技で勝つことを意識した。
そうして、GPシリーズではカナダ大会、NHK杯といずれも優勝した。ただ、カナダ大会では合計322.59点のハイスコアを出しながら、NHK杯ではフリーでミスをして305.05点にとどまり、羽生の表情は冴えなかった。
「全日本ノービスで勝って、"自信の塊"だった9歳の自分にずっと『お前はまだまだだな』と言われている感じ。大人になった自分と、何でもできると思っていたあの頃の自分が融合するのが、最終的な羽生結弦の理想像だと思います」
GPファイナルはチェンに勝つことを意識して臨んだが、SPで大きなミスをして2位発進。トップのチェンに12点以上の差をつけられる苦しい展開となった。反撃を期したフリーでは4回転5本構成に挑戦。前半の4回転ループと勝負をかけた4回転ルッツはきれいに決まったが、終盤にミスが出て合計点は300点に届かずじまい。結果、トップのチェンに43点以上の大差をつけられての敗戦となった。
続く全日本はSPで納得の演技を見せながらも、「自分の身体がどんどん劣化していく感じがありました」というフリーで失速。中盤の3回転ルッツが2回転になるミスも出て崩れ、宇野昌磨に逆転を許しての2位に甘んじた。
年が明けて2月の四大陸選手権では、プログラムの変更を決断。SPを『バラード第1番ト短調』に、フリーも『SEIMEI』に戻した。
「GPファイナル、全日本とあって、難易度を上げるのは楽しいし、達成できた時の喜びは大きいですが、それは自分らしくないと思いました。それとともに『Origin』や『オトナル』をやっていても、自分の呼吸ではないとも思って。高難度のものを入れれば入れるほど、僕のスケートがおろそかになっていると感じます。一度リセットして自分らしさが本当に出るプログラムをやってみよう、と」
大会前にそう語った羽生は、SPで新ルール世界最高得点の111.82点を獲得。4回転を4本に戻したフリーでは冒頭のルッツで手をつく着氷となり、後半には転倒も出たが、合計299.42点をマークして四大陸選手権での初優勝を飾った。これにより、ジュニアも合わせた国際主要6大会制覇の「スーパースラム」を達成。世界選手権へ向けて弾みをつけた。
だがその後、新型コロナウイルスの感染拡大で世界選手権は中止。思わぬ形でシーズンの幕が閉じた。
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

















