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赤井沙希が明かす「引退ロード」の裏側 試練の連続でパンクし、10年間で初の欠場も考えた (4ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko

【初めて欠場を考えた夜】

 赤井の引退試合で解説を務めた大鷲透は、「何か物事をやめると決めたら、それに対してのモチベーションは少なからず下がる。だけど赤井さんは引退ロードで、これまでにないくらいの試練を次々と乗り越えた」と話した。大鷲の言うとおり、「これが本当に引退する選手の闘いなのか?」と思うほど、赤井の引退ロードは激しく、彼女は最後の最後までどんどん強くなっていった。

 しかし一度だけ、パンクして心が折れそうになったことがあるという。8月29日、上野ビアガーデンプロレスの「ドランクマッチ」前夜のこと。写真集の発売、自伝の執筆、芸能の仕事、DDTの裏方業務、赤井が経営するサロン「Riviera」の仕事、プロレスの試合、体のダメージ......いろいろなことが重なり、パンクした。

 10年間、一度も欠場したことがなかった赤井が、初めて欠場を考えた。こんな状態で試合をするのはファンに対して失礼だと思ったのだ。しかしそんな彼女を奮い立たせたのは、SNSのファンの声だった。

「『あと沙希ちゃんを見られるのは、この試合とこの試合』と書いてくれてたり、これまでの試合の写真をたくさん載せてくれてたり、想いを綴ってくれてたり。私が今ここで潰れたら、この人たちの気持ちはどこに向かうんだろうと思ったら、操り人形でもいいからとりあえずリングに立とうと思いました」

 数々の試練を乗り越え、引退ロードを駆け抜けた赤井。11月12日、ついに引退試合当日を迎える。波乱の一日の幕開けだった――。

(後編:引退試合で爆切れ大号泣 初めて見た両国国技館の天井、仲間からの思わぬ言葉>>)

【プロフィール】
赤井沙希(あかい・さき)

1987年1月24日生まれ。京都府出身。父はプロボクサーで俳優の赤井英和。2013年8月13日、DDTプロレスリング両国国技館大会でプロレスデビュー。2014年、東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」新人賞を女子プロレスラーとして初めて受賞。2023年11月12日、DDT両国国技館大会で引退。獲得タイトルはKO-D6人タッグ、全日本プロレスTV認定6人タッグ、TOKYOプリンセスタッグ、アイアンマンヘビーメタル級など。
X:@SakiAkai

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