【ワールドカップ】鎌田大地と中村敬斗の個性を伸ばした育成論 「100%がマックスじゃない。120、130%の選手になればいい」
森下仁志インタビュー@後編
(現・東京ヴェルディヘッドコーチ)
◆森下仁志・前編>>高卒1年目の鎌田大地の「立ち姿」を見て直感
◆森下仁志・中編>>中村敬斗のプロ2年目は「悲壮感」が漂っていた
ガンバ大阪のU-23チームで自らの武器を磨き直し、苦しい状況からはい上がっていった中村敬斗。森下仁志氏の指導を受けた半年間で自信を取り戻した若きアタッカーは、その後、海をわたり、世界の舞台へと歩みを進めていった。
苦手だった守備をどのように身につけ、得意のシュートをいかに研ぎ澄ませていったのか。鎌田大地との共通点や、ふたりをさらなる高みへと導いた森下氏の指導哲学とともに、その歩みを紐解く。
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ワールドカップでの活躍で名を広めた中村敬斗と鎌田大地 photo by JMPAこの記事に関連する写真を見る── 当時ガンバ大阪のトップチームを率いていた宮本恒靖監督から求められた守備の部分を、中村敬斗選手はどのように改善していったのでしょうか。
「自分の得意なことができてくると、身体が動くようになるんです。コンディションが上がっていって、気持ち的にも上がっていって、勝つために何をしなければいけないかと考えるようになれば、結局、守備をしなくちゃいけないとなる。自然とそっちに向かうんですよ。
最初から苦手な部分を求めてしまうと、先ほども言ったように、自分の武器を捨てながら、でもそれだけの許容がないので、結果的に何もない状況に陥ってしまう可能性はあります」
── 自発的にやらないと身につかない部分もありますよね。
「そうなんですよ。やっぱり主体性を持ってできるかどうかが重要なんです。自分のよさを再認識させて、身体が思い出せば気分も上がって、アグレッシブになるんですよ。そうなれば、勝つために自然と守備をするようになる。敬斗はそこからトップチームに上がって、最終的に左のウイングバックでプレーするようになり、オランダに行きました」
── その年の夏にオランダに移籍したということは、森下さんが指導した期間は短かったわけですね。
「そうです。半年くらいですかね」
── にもかかわらず、師弟関係の絆の強さを感じます。
「本当にありがたい話ですよね。彼と過ごした期間は短いですけど、敬斗だけではなくあの頃(ガンバ大阪U-23時代)の選手たちはみんなサッカー選手として暗闇にいるような状態だったと思うんです。ただ、その苦しい状況のなかで、ひと筋の光を見つけることができた。だからたとえ半年ではあっても、敬斗にとっては成長を感じられる時間だったと思います。僕もやりがいを感じた時間でした」
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著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

























