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【マラソン】プロ転向した前日本記録保持者・鈴木健吾が語るロス五輪への思い「日の丸をつけて走りたいんです」

  • 佐藤俊●取材・文 text by Shun Sato

【不定期連載】箱根からロス五輪へ~MGCに挑むランナーの肖像~

第5回 鈴木健吾(横浜市陸協)後編

今年3月の東京マラソンでは大迫傑(左)と熾烈な日本人トップ争いを繰り広げた photo by Aflo今年3月の東京マラソンでは大迫傑(左)と熾烈な日本人トップ争いを繰り広げた photo by Aflo

 箱根駅伝を走ったという事実は同じでも、その物語は一人ひとりまったく違う。区間賞を重ねたスターもいれば、たった一度の出走で思うような成績を残せなかった選手もいる。本連載では、2028年ロサンゼルス五輪代表の座を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権獲得ランナーたちに、箱根を走った学生時代の記憶、そして、世界を見据えて42.195kmに挑む現在地を聞く。

 第5回は、鈴木健吾選手(横浜市陸協・31歳)。4年連続で箱根駅伝に出場した神奈川大時代を振り返ったインタビュー前編に続き、この後編では実業団入社からプロランナーとして走る現在までの歩みとともに、自身三度目の挑戦となるMGC、そして、ロス五輪への思いを聞いた。

前編を読む>>>鈴木健吾が語る箱根駅伝の記憶「2区は神大の地元。どこの大学よりも応援がすごい。沿道がプラウドブルーに染まるんです」

【神大4年時にマラソン初挑戦】

 神奈川大3年時に箱根駅伝2区で区間賞を獲得した鈴木健吾は、有力実業団のいわゆるドライチ候補だった。

「本当にいろいろなチームから声をかけていただきました。そういうなかでも、2年の時から声をかけていただき、頻繁に試合を観に来ていただいたのが富士通でした。(神大の)大後(栄治)さん(駅伝部監督/現部長)も『(2年時に)箱根2区14位でも声をかけていただいたご縁は大事にすべき』という考えでした。最終的に、日の丸をつける選手を多く輩出する、日本代表選手が出るのが当たり前の環境でチャレンジしたいと思い、富士通に決めました」

 鈴木は富士通に入社後、トラックや駅伝を走りつつも、ターゲットはマラソンに定めていた。大学時代からマラソンに挑戦したい気持ちが強く、実際、神大卒業目前の2月には東京マラソンに出場している。夏に月間1300kmを走り込むなど、箱根と並行して準備したその初マラソンでは2時間1021秒の記録を出していた。

 マラソン挑戦には、恩師の後押しもあった。神大の大後監督は「持久係数」を重視している。10000mの持ちタイムに対してハーフやマラソンの記録の相関関係を見るもので、鈴木はレース後半のタイムの落ち込みが低く、マラソンに向いていると評価された。

「そういう数字は気にしていませんでしたが、自分のなかでも後半のほうが勝負できるという感覚がありました。また、富士通の福嶋(正)監督(現エグゼクティブアドバイザーコーチ兼長距離コーチ)がマラソン挑戦に理解のある方で、『マラソンで日本代表を出していきたい』とおっしゃっていたのも大きかったです。でも、初マラソンのダメージが思った以上に大きく、1年目はケガもあり、うまく波に乗れませんでした」

 故障から復帰したのは、その入社1年目の12月だった。翌2019年の9月に東京五輪のマラソン代表選考会となるMGCが開催されるため、まずはその出場権を獲る必要があった。鈴木は同年4月のハンブルクマラソンに出場し、滑り込みでMGCの出場権を手にした。

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著者プロフィール

  • 佐藤俊

    佐藤俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)、「箱根5区」(徳間書店)など著書多数。近著に「箱根2区」(徳間書店)。

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