【マラソン】プロ転向した前日本記録保持者・鈴木健吾が語るロス五輪への思い「日の丸をつけて走りたいんです」 (2ページ目)
【出場を逃した東京五輪は沿道で観戦】
2019年9月、鈴木はMGCの舞台に立った。スタート直後に飛び出した設楽悠太(Honda/現西鉄)は追わずに、2位集団でレースを進めた。20km手前で集団は鈴木のほか、中村匠吾(富士通/現明治学院大長距離ブロック監督)、服部勇馬(トヨタ自動車)、大迫傑(Nike/現リーニン)の4人に絞られ、37km過ぎには設楽をかわしたものの、39kmで脱落し、最終的には7位でゴールした。
「出場メンバーと自分の状態を考えた時に、勝機はあまりないなと思ったので、とりあえずレースをかき回してやろうと考えていました。本来の自分の強みを生かすのであれば後半勝負でしたが、前半からペースの上げ下げがあり、後半の勝負どころで(自分のペースが)落ちてしまいました。でも、このレースを経験できたことで、それまでどこか漠然としていたオリンピックという目標が、絶対に出たい大会として明確に見えるようになりました」
MGCで大きなモチベーションを得た鈴木は、その後、ケガもなく、継続して練習に取り組めた。その結果、2021年2月のびわ湖毎日マラソンで2時間04分56秒をマークし、日本記録を更新した。そして同2021年8月開催の東京五輪のマラソンは、会場の札幌まで足を運び、沿道で観戦。
「札幌まで行ってよかったと思いました。大迫さんをはじめ各国の代表選手の走りは自分の心に刺さりましたし、この舞台で走りたいなという気持ちがよりいっそう強くなりました。そこから次のパリ五輪は自分が走るという思いで練習に取り組んでいきました」
2022年3月の東京マラソンでは当時日本歴代2位となる2時間05分28秒で日本人トップの4位入賞を果たし、同年の世界陸上オレゴン大会のマラソン代表に選出。だが、不運にも、その世界陸上は現地で新型コロナウイルスの陽性反応が出たため出場を断念した。
「僕は、(日本)記録保持者であることよりも、日の丸を背負って走れることにより喜びを感じていたんです。それは(神大時代に)ユニバーシアードで一度実現できただけだったので、オレゴンで日の丸をつけて走ることを楽しみにしていました。だから、本当に悔しかったですね」
その後、鈴木は股関節痛により、長い沈黙の時を過ごすことになる。約1年7カ月ぶりに戻ってきた表舞台は2023年10月、パリ五輪のマラソン代表を決めるMGCだった。
「この時はスタートラインに立った時点で脚が痛かったので、厳しいだろうと思っていました。それでも出場すると決めたのは、出ないで後悔するよりもチャレンジしてダメなら仕方がないと、自分のなかで折り合いをつけるためでした。事前に福嶋さんには、『タイムではなく順位の勝負だから、3位以内に入れないと決まった時点でレースを棄権しよう』と言われ、僕もその覚悟で出ました。結局、最初からキツくて勝負できる感じではなく、12km手前でレースをやめました」
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