【女子バレー】アランマーレ山形のオポジット、若泉佳穂が語るSVリーグの"洗礼"「やっていけないかも」
『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(34)
アランマーレ山形 若泉佳穂 前編
【バレーが楽しくなったのは中学2年くらいから】
「どんな状況でもトスを呼ばないといけない。負けていても、それが大差でも。自分が点を取れなかったら、勝てるものも勝てないポジションだと思っています」
2025-26シーズンをアランマーレ山形で過ごした若泉佳穂(26歳)は、オポジットというポジションの信念を語った。中学、高校ではレシーブを免除され、代わりにレシーブをするリベロがそばにいた。それだけ攻撃に特化したオポジットは、日本女子バレーでは珍しい。
アランマーレ山形のオポジット、若泉佳穂 photo by アフロスポーツこの記事に関連する写真を見る
「ずっとライトからの風景ですね。スパイクだけで、バレー人生を生きてきました。今はレシーブも練習していますし、『オールラウンドだったらよかった』って思う時もありますけどね」
若泉は邪気のない笑みを浮かべた。
福井県越前市に生まれた若泉は、本人の意志とは関係なく、バレーを始めることになった。
「うちの家系でバレーをやっていた人はいなかったんですけど、親が『集団行動を学ばせたい』と思っていたらしくて。地元の少年団はバスケかバレーしかなく、バスケは足が遅くて無理だと判断されて、自動的にバレーになったみたいです。
小学3年の時のある日、学校から帰ってきたら『体操服に着替えろ』と言われて車に乗せられ、『遊びに行くんかな?』って思っていたら、学校の体育館だったんです。そこでボールを持たされて、『さあ、やってみよう!』と。私からしたら『やってみようって何?』って感じでした」
彼女は楽しそうに笑う。3カ月ほど通った頃、「おまえ、もうやめないよな?」とユニフォームを手渡された。
「へたくそだったと思うし、よく見捨てずに教えてくれたと思います。でも、バレーが楽しいと思い始めたのは中学2年くらいからですかね。それまでは『監督がやれって言うから』『親に怒られるから』という感じが強かったんです。
中学のバレー部の先輩がバレーノートを書いて顧問の先生に出していたので、私もマネして出すようになって。先生のコメントが丁寧で、いいところは褒めてくれるし、ダメなところは叱られるんですけど、『ちゃんと見てもらえているんだ』と。いっぱいバレーについて考えられる時間ができました。それでちょっとうまくなり、楽しく感じられるようになったんです」
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著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。



















































