錦織圭と過ごした壮絶な2年間 逃げ出したい厳しいトレーニングでも「帰りたいという言葉は一切、聞かなかった」
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錦織圭という奇跡【第28回】
喜多文明の視点(2)
◆01松岡修造の視点>> ◆02細木秀樹の視点>> ◆03奈良くるみの視点>>
◆04石光孝次の視点>> ◆05玉川裕康の視点>>
◆06デイビッド・ロウ&マット・ロバーツの視点>> ◆07土居美咲の視点>>
◆08伊藤竜馬の視点>>
◆喜多文明の視点(1)>>「当時はまったく負ける気がしなかった」
喜多文明さんのIMGアカデミーでの朝は、錦織圭に「おーはーよー」と大きな声であいさつすることから始まったという。
ただ、その多くのケースで、錦織からの返事はない。
「圭は低血圧だったので朝が弱く、起きてもしばらくはボーッとしちゃっているらしいんですよ。でも、子どもの頃はそんなこと知らないから、『なんだよコイツ』って思っていました」
メガネの奥の目を優しく細め、喜多さんは20年以上前の日々を懐かしそうに回想する。
IMGアカデミー時代の喜多文明さん(左)、錦織圭、富田玄輝さん(右) photo by Fumiaki Kitaこの記事に関連する写真を見る 現在、株式会社リコーテニス部の監督を務める喜多さんは、錦織より一学年上の37歳。小・中学生の頃は数々の国内タイトルを勝ち取り、盛田正明テニス・ファンドの奨学生としてアメリカのIMGアカデミーへと赴いた。その時にともに渡米し、約2年間『同じ釜の飯』を食べたのが、のちの世界4位の錦織圭である。
フロリダ半島の西海岸沿いに位置するブラデントンは、真冬の時期でも気温は高く、スポーツに打ち込むにはふさわしい町だ。その地に広がるIMGアカデミーには、世界中から金の卵が集い、生き残りをかけて日々しのぎを削る。
日本から来た少年たちも、否応もなくその弱肉強食の渦に放り込まれた。喜多さんはIMGアカデミーで過ごした約2年間を「壮絶な日々だった」と回想する。
「あの年、一緒にIMGアカデミーに行ったのが僕と圭、それから岡山県出身の富田玄輝の3人でした。みんな部屋は別々だったんですが、朝ごはんは食堂に集まって一緒に食べたりしていましたね。
IMGの通常練習は朝の8時や9時から始まるんですが、その前に6時頃から、僕らは盛田ファンドの専属コーチだった米沢(徹)さんのレッスンを受けていたんです。
まだ外は、ぜんぜん明るくないんですよ。練習が始まる前に、水道でジャグに水を入れることから始まるので、そこで圭ともバッティングする。その時、僕が『おはよう』って言っても、ボーッとしていて返事がないんです。
練習前のウォームアップでは、野球のボールやアメフトボールを投げるんですが、圭は少しでもボールが逸れると取れなくて後逸する。それをまた、トロトロと歩いて取りにいくんですよ。毎朝、けっこうなストレスでしたね」
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著者プロフィール
内田 暁 (うちだ・あかつき)
編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。














