【Jリーグ】ジェフ千葉「フクアリの奇跡」の舞台裏 巻誠一郎「心のなかではみんな不満を抱えていた」 (4ページ目)
【スタメンから外れることも】
ただ、当時のチームは主力が抜けたこともあって、新しい選手だったり、若い選手が多かった。僕らとしてはよりどころがほしかったのですが、それがなかったので苦しみましたね。開幕11試合勝利なしという状況に陥り、クゼさんは解任されました。
当然、危機感はありました。まだ、シーズンの前半でしたけど、Jリーグの歴史を振り返っても、開幕から11試合勝てないチームはほとんどありませんでしたから。なんとかしなければいけないという思いはありましたけど、ここまでの状況に陥ってしまうと、選手だけの力で何かを変えることは難しかったですね。
クゼ監督の後任としてやって来たのは、アレックス・ミラー監督です。リバプールのコーチを務めていた実績のある監督でしたが、アプローチはクゼさんとは対照的でしたね。
本当に細かく選手を管理する監督でした。おそらく僕のキャリアのなかでは、一番細かい監督だったと思います。プレー選択もそうですし、ゲームプランもそう。相手の対策も本当に細かかった。試合前のホワイトボードには、本当に細かい文字がびっしりと書かれているんです。何時間かけて書いたんだろうなって、驚くくらいでしたよ。
そういう指導の下で、自分たちのやるべきことがすごく明確になったんです。役割が細分化されましたし、適材適所に選手を当てはめるのも、ミラー監督は上手でした。
対戦相手によってメンバーを変えるのも、珍しくはなかったです。僕は当時、代表選手でしたけど、スタメンから外れることも珍しくはありませんでした。
(文中敬称略/つづく)
◆巻誠一郎・中編>>僕に力を与えてくれた「オシムさんの言葉」
【profile】
巻誠一郎(まき・せいいちろう)
1980年8月7日生まれ、熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)出身。大津高→駒澤大を経て2003年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)に入団し、イビチャ・オシム監督のもとで急成長を遂げる。2005年に日本代表デビューを果たし、2006年ドイツワールドカップも出場。2010年にジェフ退団後はアムカル・ペルミ(ロシア)→深圳紅鑽(中国)で海外クラブを経験したのち東京ヴェルディに加入する。2014年から地元・ロアッソ熊本の一員としてプレーして2018年に現役引退。国際Aマッチ38試合8得点。ポジション=FW。身長184cm。
著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。
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