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【Jリーグ】ジェフ千葉「フクアリの奇跡」の舞台裏 巻誠一郎「心のなかではみんな不満を抱えていた」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Yuhei Harayama

【こんなはずじゃなかった...】

 ところが、2006年の7月にオシムさんは日本代表の監督に就任し、代わって息子のアマルさんがジェフの監督を務めることになりました。その年もナビスコカップでは優勝できましたが、リーグ戦では11位に終わってしまいました。

 その翌年は、さらに苦しい状況に陥りました。オシムさんがいなくなったことの影響はもちろん大きかったですが、当時キャプテンだった阿部(勇樹)が抜けたり、精神的支柱だった坂本(將貴)さんが抜けたことで、チームとしてうまくいかない時間が増えていったように思います。

 アマルさんのやろうとしていたサッカーは、オシムさんと大きな違いはありませんでした。ただ、トレーニングも含めて、そこにたどり着くまでのアプローチの仕方が全然違ったんですね。

 オシムさんは細かくトレーニングを設定したり、選手を管理するタイプの監督で、自主練習をやったら怒られるくらいでした。日々のトレーニングのなかで100パーセントの力を出すことを求められましたし、一つひとつのプレーに対しての要求が高かったんです。

 逆にアマルさんは、わりと自由を与えてくれる監督でした。でも、その自由を僕たちはうまく消化できなかった。言い換えれば、自由にプレーできるほどのレベルには達してなかったんだと思います。

 たとえば、もう少し早めに出せばパスがつながるところを、ワンタッチ多くてつながらなかったり。勝負すべきところで、パスを出してしまったり。それを正してくれる人がいなかった。そういうところで戸惑いが生じたり、少しずつボタンのかけ違いが起こっていったのかなと思います。

 チーム内の雰囲気は、表面上は悪くなかったと思います。ものを発信する人が少なかったので、大きな歪みは生まれなかったんですけど、僕自身も含め、心のなかではみんな不満を抱えていたと思います。こんなはずじゃなかったという思いを抱いているのは、少なからず感じていましたね。

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