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【Jリーグ】ジェフ千葉「フクアリの奇跡」の舞台裏 巻誠一郎「心のなかではみんな不満を抱えていた」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Yuhei Harayama

【代表選手がこぞっていなくなった】

 結局、2007年は13位と低迷し、3連覇を狙ったナビスコカップではグループリーグで敗退しました。その年かぎりでアマルさんが辞められて、翌年にヨジップ・クゼ監督が就任したんですが、今度は主力の大量移籍という事態に見舞われてしまいました。

 もしかしたら、移籍した選手たちには、不満があったのかもしれません。オシムさんの指導を受け、その成長スピードに慣れてしまった分、クラブの現状に物足りなさを感じてしまった選手が多かったという印象です。

 納得いかなければ、チームを変えるのはサッカー選手として当然のことですし、限られたサッカー人生のなかでほかのチームでチャレンジしたい、という思いが生まれることも特別なことではありません。ただ、その数があまりに多すぎた。代表選手がこぞっていなくなりましたから。

 個人的には、そうは言ってもみんな残るんだろうな、と思っていました。それがひとり抜けて、ふたり抜けて、どんどん選手が抜けていくなかで、このクラブはどうなってしまうんだろう......という危機感を覚えました。

 当時、僕も他クラブからのオファーはいただきましたが、残る決断を下しました。

 その理由はいくつかありますが、僕はうまいタイプじゃないので、ほかのチームに行ったら活躍できないというイメージがあったんです。あとはやっぱり、このクラブが好きでしたし、なんとかしたいという想いのほうが勝ったということですね。

 ただ、僕ひとりではどうすることもできない。経験のある選手が抜けすぎて、精神的な支柱のような存在がいなくなったんです。

 だから、前年に新潟に移籍した坂本さんに連絡して、「帰ってきてほしい」と伝えました。相当説得しましたし、クラブにも坂本さんの必要性を訴えました。結果的に戻ってきてくれたのは、本当にありがたかったです。

 新たに就任したクゼ監督も東欧出身なので、オシムさんの流れを継承したいというクラブの思いはあったと思います。ただ、クゼさんもアプローチの仕方はアマルさんに似ていました。選手を非常にリスペクトしてくれて、決断をさせてくれるような監督だったんです。

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