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【サッカー事件簿】「史上最強」の日本代表はなぜ崩壊したのか 川口能活は「もう少しリーダーシップを取るべきだった」

  • 佐藤俊●取材・文 text by Shun Sato

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第30回
日本代表を長年支えてきた守護神の悔恨と学びと喜びと(3)

ドイツワールドカップにおいて川口能活氏は懸命にチームを盛り立てたが... photo by Jun Tsukida/AFLO SPORTドイツワールドカップにおいて川口能活氏は懸命にチームを盛り立てたが... photo by Jun Tsukida/AFLO SPORTこの記事に関連する写真を見る 2006年ドイツワールドカップのグループリーグ最終戦。日本代表監督のジーコは、ブラジル戦に向けて大幅にメンバーを代えてきた。玉田圭司と巻誠一郎を2トップに据え、ボランチには福西崇史に代えて稲本潤一を置いた。

 前半は、このメンバー交代が功を奏す。前半34分、三都主アレサンドロからのパスを受けた玉田が豪快なシュートをブラジルゴールに突き刺した。

「ゴールもすばらしかったですけど、玉ちゃんはJヴィレッジの合宿のときからずっと調子がよかったんです。ワールドカップ本番ではそれほど出番がなかったんですけど、まったくテンションを落とすことなく、準備をしていました。紅白戦でも調子がよかったですし、これは試合に出たら活躍するかもしれないなと思っていたんです。

 そうしたら、ブラジル戦のスタメンで、いきなりゴールを決めた。玉ちゃんは、試合に勝てないとか、試合に出られないとか関係なく、(代表合宿から大会中もずっと)純粋にサッカーを楽しんでいた。その姿がすごく印象的でした」

 だが、この玉田の一撃でブラジルが目を覚ました。前半終了間際にロナウドが同点ゴールをゲット。後半に入ってからはさらに出力を上げて、3ゴールを量産。日本は1-4で敗れ、グループリーグ敗退が決まった。

 試合後、ピッチ中央では中田英寿が仰向けになって倒れていた。ユニフォームを顔にかけ、動かずにいた。

 声をかけたのは、中田英と同い年の代表キャプテン・宮本恒靖。そして、パルマで一緒にプレーしていたブラジル代表のアドリアーノだけだった。ある意味、それがジーコジャパンにおける中田英の立ち位置を表していた。

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