【サッカー事件簿】「史上最強」の日本代表はなぜ崩壊したのか 川口能活は「もう少しリーダーシップを取るべきだった」 (2ページ目)
2004年アジアカップでは一致団結して頂点に立ったチームが、ドイツワールドカップではひとつにまとまることができなかった。
もちろん、代表チームが最初からひとつにまとまっていくことは難しい。勝ち進んでいくことによって、一体感が生まれてくる。サブ組は試合に出られない悔しさを抱えながらも、チームが勝っていることで自分を納得させることができる。勝ち続ければ、試合に出るチャンスが高まるからだ。
「ドイツワールドカップのチームは、2002年の日韓大会を経験している選手が多くいて、海外でもプレーしている25、26歳の選手がそろっていた。(選手として)一番動けるときだし、みんな絶対に輝けると信じていたけど、そういう選手たちがスタメンで使ってもらえない。
自分も日韓大会のときに試合に出られなかったので、その悔しさはよくわかるんです。『試合に出たい』『自分がやるんだ』という思いが強すぎて、それが"チームのために"というよりも、"個人がどうしたいのか"っていうところへ向かってしまう」
このときのチームには、日韓大会のときに存在感を示していた中山雅史のような、チームのまとめ役となるベテラン選手がいなかった。
「チームは"最高の選手"が23名(当時の登録メンバー人数)そろえば強いってわけじゃないんです。日韓大会のときはゴンさん(中山)らが入って、戦うムード作りをしてくれたことが大きかった。そういう選手の存在は、やっぱり大事だなと思いました。
ドイツ大会ではそういう存在がいなかった。その意味では、マコ(田中誠)が大会直前で離脱してしまったことが(チームに)非常に大きな影響を及ぼしたと思います。1年前のコンフェデレーションズカップでもツネ(宮本)とセンターバックに入り、ロナウジーニョやカカに対してふつうに対応していた。
守備能力が高く、頼りがいがあったので、戦力的にもいてくれたらなぁと思いましたし、性格が明るいので、(チームが)落ち込んだときこそ、うまくまとめてくれたはず。そういうキーになる人がいなくなったので、初戦を落としてからチームが方向性を見失ってしまった」
「史上最強」と称されて、ファンやサポーター、関係者やメディアからも大きな期待を寄せられていた日本代表だったが、結果は1分2敗のグループリーグ最下位に終わってドイツの地をあとにした。
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