木村和司の伝説のFKに「驚きはない」と川勝良一「そのぐらいの力はある。今のボールだったら、もっと決めてた」
木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第25回:川勝良一評(7)
JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。
Jリーグ開幕戦でもガツガツとやり合っていた木村和司氏とラモス瑠偉氏 photo by Etsuo Hara/Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る 1993年に誕生したJリーグの記念すべき開幕戦が、ヴェルディ川崎対横浜マリノスであった歴史が物語るように、その前身である読売クラブと日産自動車は、晩年の日本リーグにおいて屈指の強豪チームとして知られていた。
1980年代半ばから1990年代にかけては、ほとんどの国内タイトルをこの2チームが分け合っていたと言ってもいい。
日本リーグを代表する2強は、互いの力を認め合う関係であり、1983~1988年に読売でプレーした川勝良一も「日産との試合は楽しかった」と振り返る。
だがその一方で、当然ライバル意識も強かった。
そのすさまじさは――あくまでも昔話として大目に見てもらわなければならないが――川勝いわく「読売側からすると、"削る相手"が決まってたんですよ」というほどだ。
「金田(喜稔)さんには松木(安太郎)さんが、(水沼)貴史には都並(敏史)が、(木村)和司とかマリーニョには小見(幸隆)さんが削りにいく。で、2回目は誰が行くとか、だいたい決まってて、それをやらなかったら、ハーフタイムに怒られる」
ラフプレーと言ってしまえば、それまでだが、そうまでするほど、読売と日産は「力が拮抗していた」ということでもある。
しかし、「和司なんかは、危ないと思ったら、必要以上に(ボールを)持たないんですよ」と川勝は言う。
「今のJリーグを見てると、(当時よりも)ルールが厳格だから、(激しく当たられても)頑張るというか、ガチガチいくでしょ。でも当時は、もう危ないんだったらワンタッチで一回叩いて、正対できるまで無理にやらない。背中向けたらもうアウトですもん。それでビビっちゃうヤツがほとんどだけど、和司は嫌がってはいても逃げなかった」
実際、木村もまた、読売クラブ、あるいはその後のヴェルディとの対戦を楽しんでいた。少なくとも、ただのラフなチームとは見ていなかった。
「やっぱり、うまい人はうまい人を見抜くのが早いんで。和司とカリオカ(ラモス瑠偉)なんかは、どっちも認め合ってて、だから余計にガチガチやる。そんななかでも、チームの中心で何年もやり続けるっていうのは、なかなかできることじゃないよね」
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