"丸の内御三家"を敵視していた読売クラブが唯一認めていた日産 その中心にいた木村和司の「ちゃんとした実力」
木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第24回:川勝良一評(6)
JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。
日産入りしてからも中心選手として活躍した木村和司氏 photo by (C)Shinichi Yamada/AFLOこの記事に関連する写真を見る
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日本にまだプロサッカーリーグが存在しなかった時代、木村和司が奥寺康彦とともに、日本初のプロサッカー選手(スペシャルライセンスプレーヤー)となったのは、1986年のことだ。
それは、アマチュアスポーツとして発展してきた日本サッカーにとって画期的な出来事ではあったが、当時、読売クラブに所属していた川勝良一にしてみれば、「読売はもう基本、最初からプロだと思ってました」。
事実上、それ以前から日本にもプロは存在していた、と言ってもいいのだろう。
読売の選手たちは、「三菱(三菱重工。浦和レッズの前身)、日立(日立製作所。柏レイソルの前身)、古河(古河電工。ジェフユナイテッド千葉の前身)の"丸の内御三家"っていうのはアマチュアの代表だからって、勝手に敵視してるような雰囲気があった」と、川勝は言う。
しかしだからこそ、その試合でミスでもしようものなら、「カリオカ(ラモス瑠偉)が激怒して、もうパスが回ってこないこともあったから怖かった。ほんと、そのまま一回もパスをもらえない選手がいっぱいいたしね」。
だが、丸の内御三家とは対照的に、読売にとって日産自動車は好敵手とも言うべき存在であり、ある意味で憧憬の対象でもあった。
「読売はイメージ的には南米だったけど、基本、体育会系みたいなチーム。でも、日産は明るくて、洗練されたイメージがあって、和司なんかも楽しそうにやってるから、うらやましかった」
企業チームの古豪を勝手に敵視していた読売も、「日産の選手はうまかったし、日産だけは唯一認めてた」という。
「だからこう、日産との試合では(丸の内御三家との対戦とは)違う意味でファイトするっていうか、唯一まともな、サッカーっぽい試合ができるというか。蹴って走るんじゃなくて、技術で勝負する、みたいな感じだった」
そんな唯一のライバルチームの中心にいたのが、木村である。
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