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フェアレディZの模型を手にした加茂周に「本物をやる」と言われた川勝良一 木村和司の加入が「わかってたら、日産に行ってた」

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第23回:川勝良一評(5)

JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。

大学卒業後の進路を考えていた当時のことを振り返る川勝良一氏 photo by Miki Sano大学卒業後の進路を考えていた当時のことを振り返る川勝良一氏 photo by Miki Sanoこの記事に関連する写真を見る 大学生にして、すでに日本代表に選ばれたサッカー選手となれば、大学卒業後の進路選択に際し、引く手あまたであったことは想像に難くない。

 実際、法政大4年の川勝良一のもとには、「7チームぐらい(オファーが)来ていた」。

 結果的に、数あるオファーのなかから東芝を"就職先"に選ぶことになる川勝は、しかし「一番行きたかったのは、読売クラブ」だった。

 だが、オファーを受けたチームの監督と順番に会って話を聞くなかで、読売クラブ監督の相川亮一とも話したが、「一度も『うちに来てくれ』って言われなかった」という。

「『来てくれ』って言われなかったのは、相川さんとガマさん(ヤンマーディーゼル監督の釜本邦茂)だけで、読売とヤンマーはあんまりこう......、熱心に見えなかった」

 はたして、川勝は読売という選択肢を消すことになったのである。

 その一方で、最も熱心に声をかけてくれたのは、日産自動車監督の加茂周だった。

 ただ、川勝が大学4年のときにさかのぼれば、日産は日本リーグ2部所属。「(有名な選手は)金田(喜稔)さんしかいなかったし、そのうえ2部だったし。それで、どうすっかな、と」。

 日本代表で一緒だった同い年の木村和司に、卒業後の進路について尋ねてみても、返ってきた答えは「まだ決めてない」。

 親友からの助言は決め手に欠けたが、「日産には明るいイメージがあったし、(面談のときに)加茂さんがフェアレディZの模型を持ってきて、『これ、本物やるから』って言われて......」。

 魅力的な口説き文句に、川勝は「(日産に)行きます!」と一度は答えている。

 もし木村が、この時点で日産入りを決めていれば、あるいは決めていたのなら、それを川勝に伝えていれば、おそらく川勝はトリコロールのユニフォームに袖を通していたに違いない。

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