【Jリーグ】巻誠一郎に力を与えた「オシムの言葉」 崖っぷちの0-2でも「ここからがチャンス」と思うことができた (4ページ目)
【オシムさんに怒られた思い出】
ハーフタイムでは、いろんな選手に檄(げき)を飛ばしたのを覚えています。ミラー監督になって以降、シンプルに僕に預けてくれるプレーが多かったのに、この試合では変につなごうという意識が感じられたんですよね。だから僕は「信頼してボールを寄こせ。なんとでもしてやるから、常に俺を見てくれ」って。
後半開始早々、長友(佑都)選手に追加点を奪われた時、誰もが絶望にかられたと思います。なかには、あきらめた選手もいたかもしれない。でも、僕は違ったんですよね。逆に吹っきれたというか、もうやるしかないという感覚になったんです。
試合前のいいイメージも、後ろ盾になったかもしれません。前半からいい感覚があったので、だからこそ僕にボールを入れてほしいという想いが強かったんです。
スタジアムの雰囲気もすごかったですね。2点ビハインドになっても、サポーターの声量が落ちなかったんですよ。あの雰囲気のなかで、絶対にあきらめてはダメだと思ったことを、今でも覚えています。
もうひとつ、僕に力を与えてくれたのは、オシムさんの言葉です。
一度、2-0から逆転された試合があったんですが、その時にオシムさんから「2-0が一番危ないんだ」って、めちゃくちゃ怒られたんです。そのことが思い出されて、そうだよな、逆にここからがチャンスなんだって思うことができたんです。
(文中敬称略/つづく)
◆巻誠一郎・後編>>「オシムさんの面影を引きずり続けた17年間」
【profile】
巻誠一郎(まき・せいいちろう)
1980年8月7日生まれ、熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)出身。大津高→駒澤大を経て2003年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)に入団し、イビチャ・オシム監督のもとで急成長を遂げる。2005年に日本代表デビューを果たし、2006年ドイツワールドカップも出場。2010年にジェフ退団後はアムカル・ペルミ(ロシア)→深圳紅鑽(中国)で海外クラブを経験したのち東京ヴェルディに加入する。2014年から地元・ロアッソ熊本の一員としてプレーして2018年に現役引退。国際Aマッチ38試合8得点。ポジション=FW。身長184cm。
著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。
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