「中学の時、コーチだと思って(同学年の)森本貴幸に挨拶した」大学卒業時まで無名だった塩谷司がプロなれたわけ
ベテランプレーヤーの矜持
~彼らが「現役」にこだわるワケ(2025年版)
第9回:塩谷司(サンフレッチェ広島)/前編
この記事に関連する写真を見る サンフレッチェ広島の塩谷司は、今年で15年目を数えるプロキャリアを「奇跡」だと表現する。
「水戸ホーリーホックに加入した時は、この世界で2~3年やれれば上々だと思っていたので、自分でも驚くようなキャリアになりました」
高校、大学を含めて世代別の日本代表はおろか、県選抜ですら縁遠かった無名のサッカー選手だったのだから、なおさらだろう。
そこから彼は、いかにして数々の"タイトル"を手にするチームのど真ん中で戦える選手になったのか。何がターニングポイントになり、何が今も最前線で戦い続けるモチベーションになっているのか。その根底に流れ続ける"サンフレッチェ広島愛"に触れつつ、迫り来る"引退"の考え方についても話を聞いた――。
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サッカーがうまくなりたい一心でボールを蹴っていた塩谷に、プロサッカー選手の道が拓けたのは国士舘大学4年生の時。同大学のコーチを務めていた元日本代表の柱谷哲二氏が翌年(2011年)から水戸ホーリーホックの監督に就任することが決まり、「おまえ、(水戸に)来るか?」と声をかけられたのがきっかけだ。迷うことなく、その場で「い、いいんですか!? お願いします!」と言葉を返した。
「11月くらいに、そろそろ卒業後の進路を考えなきゃいけないなって時に、テツさん(柱谷)が水戸の監督になると聞いて、そうなんだと思っていたら『おまえ、来るか?』と。クラブの強化の方から『ほしい選手がいるなら、ひとりくらい連れてきてもいいよ』と言われていたらしく、まさかのチャンスが巡ってきました。
小学5年生の時に、JFLの大塚製薬サッカー部(現徳島ヴォルティス)の試合を見て『将来はサッカー選手になりたい』と思ったものの、なにせ大学まではそれを現実的に考えられるキャリアではなく......なのに、11月に進路を考え始めたのはどうなんだって話ですけど(笑)、恥ずかしながら、最後は大学がなんとかしてくれるだろうと淡い期待を抱いていたというか。どこかサッカー部を持っている企業に入れていただいて、サッカーを続けながら仕事ができればな、くらいに思っていました」
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