サンフレッチェ広島の塩谷司が振り返る、ふたつのターニングポイント「キレッキレの佐藤寿人さんにボコボコにやられた」
ベテランプレーヤーの矜持
~彼らが「現役」にこだわるワケ(2025年版)
第9回:塩谷司(サンフレッチェ広島)/中編
photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る
水戸ホーリーホックの柱谷哲二監督(当時)に背中を押され、2012年夏にサンフレッチェ広島への移籍を決断した塩谷司だったが、当初はメンバー入りこそしても公式戦にはほとんど出場できなかった。覚悟していた自分もいたとはいえ、ハイレベルの選手、環境に身を置く日々は、肉体的にも精神的にも消耗し「毎日、ギリギリだった」と振り返る。
だが一方で、何をやっても通用しない、うまくいかないことだらけの環境に身を置いたからこそ、成長を実感することも確かにあって、塩谷はその手応えだけを頼りにサッカーに没頭した。
「当時、試合に出ていないメンバーは週2回くらい2部練習があったんです。午前練習では、優勝争いをしているすごいレベルの選手たちを相手に11対11のハーフコートゲームやミニゲームをするんですけど、スタメン組だけ『1タッチ。リターンなし』といった条件つきだったり、時にスタメン組が数的不利の状況だったりしたのに、全然ボールが取れなかった。
しかも僕がマッチアップするのって、毎回(佐藤)寿人さんだったんです。結果的にこの年の得点王とMVPに選ばれたキレッキレの寿人さんです、はい。なので、当然、ボコボコにやられるじゃないですか。それでようやく午前練習が終わったと思ったら、昼飯を食べて少し休んで、若手だけでフィジカルや対人がメインの2部練習が始まる、と。
で、それが終わって17時くらいにクラブハウスを出るんですけど、夕方は車が混むので家に着いたらもう18時半とかで、夕食を食べてお風呂に入ったら『明日早いから寝なきゃ』となって、すぐに朝が来て、また同じ1日が始まる、みたいな。
あの日々は本当にキツかったけど、なにせ力の差が明らかだから文句も言えないし、自分が足りていないのも自覚しているから、結果『やるしかない!』と。今になって思えばあの苦しい半年が、間違いなく僕のプロキャリアにおける最初のターニングポイントでした」
1 / 4











