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「中学の時、コーチだと思って(同学年の)森本貴幸に挨拶した」大学卒業時まで無名だった塩谷司がプロなれたわけ (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 本当に「現実的に考えられるようなキャリアではなかった」のか、少し時計の針を巻き戻してみる。

 大塚製薬サッカー部の試合観戦を機にサッカー選手への憧れを抱いた塩谷は、中学校に進学するタイミングでそのアカデミーチームにあたる大塚FCジュニアユース入り。だが、ユースチームには昇格できず、徳島県立徳島商業高校への進学を決める。徳島県内では強豪として知られ、全国高校サッカー選手権の常連でもあった同校にプロになる夢を重ねた。

 もっとも、中高ともに全国の舞台に立つことはできたものの、「上には上がいる」と現実を突きつけられ、"プロ"が遠のいていくような感覚を覚えていたという。

「大塚FCジュニアユースでは全国大会にこそ出場できたけど、ヴェルディジュニアユースに0-7で大敗しました。ヴェルディにはのちに中学3年生でプロデビューする森本貴幸がいたんですけど、試合会場に入ったところでヴェルディのベンチコートを着ている彼がいて、その風格からてっきりコーチだと思って挨拶したら、同い年の選手でした(笑)。

 当時のヴェルディはめちゃめちゃ強くて、試合でも明らかな差を見せつけられました。という中学時代を経て、高校時代も選手権には出場できたし、1年生の時から運よく試合に出してもらえたんですけど、1回戦負けでした。2年生の時も全国には出て、3回戦で鹿児島実業高校と戦って0-5です。確か、鹿実には4~5選手、プロ入りが内定していて、試合をしながら『あ~、こういう人たちがプロになるのかぁ』と思っていました。

 最終的に鹿実はこの年、決勝に進出して乾貴士や田中雄大を擁する野洲高校に負けたんですが、鹿実が野洲に負ける世界線ですからね。高校世代のトップレベルを体感できたのはよかったですが、だからこそ"プロ"は現実的に考えられませんでした」

 国士舘大学に進学後もプロを目指す4年間にするはずが、関西、関東の強豪校やユースチームから集まってきた選手たちに能力の差を見せつけられ、早々に心が折れた。

「まずは『走らなきゃ』みたいな雰囲気に反発してしまったというか。ボールをつないで前進していくサッカーが好きだったのもあって、フィジカル重視のサッカーをどこか受け入れられない自分がいました。要するに、(気持ちが)弱かったんだと思います。となれば、チーム内の序列は下がるばかりで......。毎年のようにいい後輩が入ってきては抜かされていく、みたいな感じで大学3年生になる頃には内心、プロになることも諦めていました。

 大学時代には時々、東京ヴェルディやFC東京といったJクラブと練習試合をさせてもらうこともあったんですけど、やれるなんて感覚を得られることはなく......っていうか、むしろそう思えていたら練習参加の声もかかったと思うんですけど、どこからも見向きもされませんでした」

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