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若き天才・家長昭博が「俺って、自分が思っていた以上に、サッカー選手として成功したいと思ってたんや」と気づいた瞬間

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

ベテランプレーヤーの矜持
~彼らが「現役」にこだわるワケ(2025年版)
第5回:家長昭博(川崎フロンターレ)/前編

写真提供:川崎フロンターレ写真提供:川崎フロンターレこの記事に関連する写真を見る"家長昭博"という名前を聞いて、何を連想するだろうか。

 他とは一線を画した圧倒的な技術か。左足から繰り出される芸術的なパスやシュートか。若い頃から「天才」と称されてきた才能か。

 ガンバ大阪時代の鮮烈なJリーグデビューを、脳裏に焼きつけている人もいるかもしれない。近年なら、2017年に始まる川崎フロンターレの"タイトル"の歴史を支えてきた姿や、2018年に初めてJリーグMVPに輝いた姿を記憶に留めている人もいることだろう。

 ともに戦ったことのあるチームメイトの多くが、リスペクトを込めて「変態」だと褒め称えるそのプレーは、いつだって奇想天外。今も唯一無二の驚きを与え続けている。

 そうして目に映る彼も"家長昭博"であることに違いはないが、いつも彼には「それだけではない何か」がつきまとう。才能だけでは生き残れないこの世界で、彼を20年以上もの間、プロサッカー選手として輝かせてきた得体の知れない何か――。

 それを知りたくて、彼のもとを訪ねた。

         ◆           ◆        ◆

 家長昭博のプレーをJ1の舞台で初めて見たのは、2004年6月。ガンバ大阪に所属していた18歳の時だった。前年度の2003年にクラブ史上最も早い、高校2年生でのトップチーム昇格を果たしていた彼は、1stステージ第15節のアルビレックス新潟戦で先発メンバーに抜擢される。

 印象に残っているのは、ふたつ。ひとつ目は、前半9分という早い時間帯にゴール正面、約20メートルの距離から、左足でいきなりのJ初ゴールを決めたこと。

「ボールをもらったらフリーだったので、思いきって打ちました」

 そしてふたつ目は、いっさいの緊張も伝わってこない堂々としたプレーぶりだ。卓越した技術をベースとした低い重心で仕掛けられるドリブルは、繰り返し相手DFをすり抜け、敵の脅威となった。

 当時、ガンバを率いていた西野朗監督は家長について「いい意味で、なめきったというか、図太さが魅力」だと評していたが、まさに新潟戦での彼は"デビュー戦"であることを忘れそうになるほど、ふてぶてしく、逞しく、眩しかった。

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