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若き天才・家長昭博が「俺って、自分が思っていた以上に、サッカー選手として成功したいと思ってたんや」と気づいた瞬間 (5ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

「正直、プロになってから、ずっと試合が面白くなかったんです。その理由は......おそらく、プロは勝敗が一番大事やから。現に、プレーの選択、戦い方を含めて、確率論的には"負けない確率をできるだけ大きくすること"を第一に考える。

 でも、クルピ監督はそうじゃなかった。いや、勝敗のこともめちゃくちゃ言うんですよ。言うんですけど、あの人は、そのプロの世界でのスタンスと、自身のマインドがおそらく全然違うところにあったんやと思います。実際、求められる役割もあったとはいえ、それ以上にいつも『自分のポテンシャルを出してどんどん攻めろ』と強調されていました。

 そのサッカーに触れた時に、『ああ、俺ってこうやってプレーしてたな』って、サッカーのやり方を思い出したんです。プレーしながら、これをしなきゃ、あれをしなきゃに囚われるのではなく、これをしよう、あれをやってみたいって考えがどんどん湧いてくる、みたいな。その自分を体感して久しぶりに"サッカー"をしている気になれた」

 当時のセレッソは、乾貴士や清武弘嗣、香川真司、アドリアーノらが前線を彩っていた時代。そうした個性豊かなタレントと攻撃を作り上げる楽しさも相まって、家長は水を得た魚のように躍動を見せた。

「紆余曲折はありながらもキャリアを積んできて、単純にピッチでできることが増えていたのもあったと思います。それが、クルピ監督の"サッカー観"みたいなものとフィットしたってことじゃないかな。もちろん、サッカーなので正解はないけど、少なからず僕自身は、それまでで一番『しっくりきた』という感覚でサッカーをしていました」

 それは結果にも表われ、この年の家長は第7節の湘南ベルマーレ戦で初先発を飾ったのを機に、以降はほとんどの試合に先発出場。4得点10アシストと数字を残し、チームとしてもクラブ史上最高順位の3位に上り詰める。そのシーズン終了後には、彼にとって初めてとなる、海外からのオファーが届いた。

(つづく)◆家長昭博「変な個性がある選手が好き。最近なら、鹿島の鈴木優磨くん」>>

家長昭博(いえなが・あきひろ)
1986年6月13日生まれ。京都府出身。ガンバ大阪のアカデミーで育ち、高校2年生の時にトップチームへ昇格。翌2004年、J1デビュー。以降、若き天才プレーヤーとして脚光を浴びるが、レギュラーに定着するまでには至らず、2008年から大分トリニータ、2010年からはセレッソ大阪へ期限付き移籍。そして2011年、マジョルカ(スペイン)へ完全移籍。その後、2012年に蔚山現代(韓国)、古巣のガンバに期限付き移籍。2013年夏にマジョルカに復帰したあと、2014年に大宮アルディージャに完全移籍。2017年には川崎フロンターレへ完全移籍し、以降チームの主力として数々のタイトル奪取に貢献する。2018年にはJリーグのMVPを受賞。

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