若き天才・家長昭博が「俺って、自分が思っていた以上に、サッカー選手として成功したいと思ってたんや」と気づいた瞬間 (2ページ目)
以来、同年の2ndステージにも7試合に先発すると、2005年も24試合に出場。ガンバのJリーグ初制覇に貢献する。当時のガンバは、遠藤保仁を筆頭に、宮本恒靖、山口智、二川孝広、橋本英郎、大黒将志、フェルナンジーニョ、アラウージョら、錚々たる顔ぶれがレギュラーとして活躍していた時代。それもあって、同年の先発出場は14試合にとどまったが、熾烈なデッドヒートが繰り広げられたリーグ終盤戦はもとより、優勝を決めた最終節の川崎フロンターレ戦も家長は先発を任され、ピッチで歓喜を味わう。
当時19歳。「天才」と絶賛された才能を疑う余地はなかった。
前置きが長くなったが、そんな若かりし日の思い出話から始まったインタビューは家長の「俺、天才の部類じゃないと思うんです」という言葉から始まった。
「周りにはそんなふうに言われたこともありましたけど、自分がどういう選手かは、自分が一番よくわかっていたから。僕にしてみれば、『いやいや、天才ならもっと悩まずプレーできるでしょ』的な。プレーの波もありましたしね。
だから......最近は、人の見方って面白いなって思っています。若い頃はそういう周りの評価とのギャップというか、そこまでの選手じゃないのに、って変にピリピリしていましたけど、最近は『俺って、オモロイな』って受け入れています。自分が思う"自分"とは違う映り方をしていることにも、何かしらの理由があるはずですしね。
でも、間違いないのは、世の中に映る姿も、自分だけが知る姿も、僕だということ。感覚的には......おそらく世の中に見えているのは、30%くらいの自分だと思っていますけど。あれ、なんの話でした(笑)?」
ならば、だ。当時の彼は自分をどう見ていたのか。
「いや、もう生きていくのに必死で、プロサッカー選手になるのに必死で、毎日(力を)振り絞りまくっていたので、自分がどんな選手かなんて、考えたこともなかったです。トップチームでそれなりにプレーしていたのも、周りの選手に恵まれて、なんとなくプレーが成り立っていたように見えていただけちゃうかな。実際、試合には出してもらっていたけど、自分ではほんまにそのレベルに達していたのかもわからんかった」
そういえば、今回のインタビューには、彼がガンバに在籍していた時代に行なったインタビュー記事を読み返して臨んだが、確かに当時も家長は似たような言葉を残している。参考までに、2005年のJ1リーグ初優勝直後に聞いた言葉をそのまま記しておく。
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