恩返しの「アーセナル学校」。
ベンゲルが日本サッカー界に残したもの (2ページ目)
そのロビーで懐かしい人物と再会した。コーチのボロ・プリモラツである。プリモラツは中西と平野を2階のレストランに連れていくと、「もうすぐ練習が始まるから、しばらくここで待っていてくれ」と言い残して去っていった。
2人がコーヒーを飲みながら待っていると、プリモラツが戻ってきて練習場に案内された。そこに、かつての"ボス"がいた。
「ベンゲルから『どれくらいいるんだ?』と聞かれたので、『1週間ぐらいいます』と。『僕は見学するだけだけど、平野は練習に参加させてもらえませんか』と頼んだら、『お前もやればいいじゃないか』と言われました」
こうして、中西と平野はアーセナルの練習に参加することになった。
当時のアーセナルには、ロベール・ピレス、ティエリ・アンリ、パトリック・ビエイラといった1998年フランス・ワールドカップの優勝メンバーを中心に、イングランド代表のデイビッド・シーマンやトニー・アダムス、オランダ代表のデニス・ベルカンプ、スウェーデン代表のフレデリック・リュングベリといった錚々(そうそう)たる顔ぶれがいた。
その技術の高さに平野は驚かされたが、それ以上に衝撃を受けたのは、トレーニングメニューが名古屋グランパス時代となんら変わらないことだった。
サッカー人生の岐路でベンゲルを訪ねた平野孝 photo by Tanaka Wataru「7対7もシャドーのパターン練習も同じでしたね。ただ、例えば、4対2のボール回しは一般的には8m×8mのスクエアでやるんですけど、アーセナルではそのスクエアが大きいんです。それだと少しミスするだけで繋がらないのに、パンパンパンって繋がる。自分も加わったんですけど、自分が一番ミスしていました」
さらに、平野の記憶に強烈に刻まれていることがある。ブラジル代表のシルビーニョと対峙したとき、ドリブルで仕掛けずパスを出すと、ベンゲルに「なぜ仕掛けない? お前の武器は仕掛けることだろう?」と、グランパス時代と同じことを指摘されたのだ。
「ハッとさせられましたね。その頃、リスクを負って勝負するより、ボールを大事にすることや、ボールを失わないことのプライオリティが高くなっていたんです。仕掛けることこそ、自分の持ち味だったのに」
初心を思い出させられると同時に、大いに刺激を受けた。
「やっぱり、練習からトップレベルの選手としのぎを削っていないとダメだなって」
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