名良橋晃がフランスW杯で痛感した世界との差「シュケルは怖かった。常にゴールを狙っていた」
私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第29回
自らの信念を貫いた攻撃的サイドバックの数奇なサッカー人生(2)
1997年11月16日、マレーシア・ジョホールバル。日本とイランによるフランスW杯アジア第3代表決定戦が行なわれた。
ピッチに出ていくと、名良橋晃はその光景に衝撃を受けた。
「第3国での試合でしたから、サポーターとかも少なくて、(スタンドは)ガランとしているんだろうな、と思っていたんです。それが、ピッチに出てみたらスタンドを埋め尽くした日本のサポーターがすごく盛り上げてくれて、いい雰囲気を作ってくれて。もうこれ以上ないモチベーションになりました」
試合は、中山雅史のゴールで日本が先制するも、後半にイランが巻き返す。コダダド・アジジとアリ・ダエイのゴールで試合をひっくり返した。
逆転を許した日本は後半18分、監督の岡田武史が動く。三浦知良(カズ)と中山に代えて、城彰二と呂比須ワグナーを投入して反撃に出た。
「結構ギリギリの状態で戦っていて、それでも代えないだろうと思っていたカズさんとゴンさん(中山)を(岡田監督は)一気に代えたんです。思いきった、すごい決断だなって思いました」
徐々に流れを取り戻していった日本は後半31分、中田英寿のクロスを城がヘディングで合わせて同点に追いついた。名良橋も後ろからの声に押し出されるような形で高い位置を取り、日本はさらに攻撃的に出た。
「2-2になってから、モトさん(山口素弘)が『前に行け』って言ってくれたんです。モトさんは後ろに残っていて、自分の裏のスペースをケアしてくれて、(4バックから)ほとんど3バックみたいになっていました。
僕が攻撃参加できたのは、モトさんのおかげでしたし、同点に追いつく前に相手のカウンターをモトさんが止めてくれたのもすごく大きかった。モトさんは目立たないですけど、気が利くプレーができる人で、代えの利かない選手。僕のなかでは、予選突破の陰のMVPだと思っています」
2-2の同点のまま、試合は延長戦に突入。最後は延長後半、中田のシュートのこぼれを岡野雅行が詰めて日本が3-2で勝利し、初のW杯出場を決めた。
「最後にオカちゃん(岡野)が決める前、ダエイの決定的なシュートがあってヒヤッとしました。そのあと、オカちゃんが決めてくれたんですけど、もうホッとしたという気持ちしかなかったです。
それまでにいろんなことがありましたし、精神的にもしんどかった。これで負けたら、次はオーストラリアとの試合(大陸間プレーオフ)になって、また戦わないといけない。もうサッカーはいいやって思うところもあったので、イラン戦に勝ってW杯出場が決まって本当によかった」
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