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名良橋晃がフランスW杯で痛感した世界との差「シュケルは怖かった。常にゴールを狙っていた」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 W杯出場を決めた試合のあと、中田がインタビューで「これからはJリーグをよろしくお願いします」と言った。名良橋も、Jリーグのためにも勝ててよかったと思ったという。

「実際、これでもしイランに負けて、最終的にW杯に出られなかったら、『Jリーグはどうなってしまうんだろう』って思っていました。日本代表を強くするためにJリーグが生まれたのもあるので、フランス行きを決めることができて、サッカーに関わる人たち全員が(この結果に)ホッしたんじゃないかなと思います」

 1998年、W杯イヤーを迎えると、日本代表のメンバー争いは熾烈を極めた。サッカー選手であれば、誰もが目指す大舞台。日本中が注目するなか、代表監督の岡田はともに10代の小野伸二と市川大祐をメンバー候補に抜擢した。

「イチ(市川)は、最大のライバルでした。現役高校生で『岡田さんの恋人』とか言われていたんですよ。若いし、スピードがあって、高さもあって、非常にクレバーな選手。僕とは違うタイプで、『これはヤバいな』と思いました。

 でも、そういう存在が出てきてくれたおかげで、自分のパフォーマンスの質も上がったんです。やっぱり負けたくないですし、W杯に出るのは自分の夢でもあったので、この時期は無我夢中でサッカーをしていました」

 最終的に指揮官の岡田は、最終予選を戦ったメンバーを軸に23名を選出。名良橋の最大のライバルである市川は落選した。ただ一方で、メンバー入り確実と思われたカズや北澤豪もW杯メンバーから外れた。

「(自分が)メンバーに選ばれてうれしかったですけど、カズさんの落選は衝撃が大きかったです。カズさんは世界でも知られている選手でしたし、いるだけで怖さを与えられる選手じゃないですか。それまで、日本のサッカーを引っ張ってくれた11番ですから、絶対に外さないと思っていたんですが......。

 その際、岡田さんはすごいことをやるなと思ったのと同時に、カズさん、キーちゃん(北澤)が外れて、井原(正巳)さんにかかる重圧はすごく増すだろうな、とも思いました」

 迎えたフランスW杯。初戦の相手は、アルゼンチンだった。

 アルゼンチンについて事前にビデオで見た名良橋は、ガブリエル・バティストゥータ、アリエル・オルテガ、ディエゴ・シメオネなど個々の選手のレベルが高いのはもちろん、チームとしての強さも感じた。

「南米予選の試合とか、アルゼンチンの分析ビデオを見たんですけど、前からプレスをかけて、しかもその強度がめちゃくちゃ高いんです。これをどうやって剥がせばいいんだろうって考えたんですが......。結局、岡田さんが3バックにして対応しようと決めたんです」

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