谷口彰悟、ひとり暮らしのススメ 「自由だからこそ、大学4年間の取り組みが、のちのち大きな差となった」 (3ページ目)
【親もとを離れて実感した食事の手間暇】
また、高校までは自分を知る友人たちが少なからずいる環境で、サッカーを続けてきた。自分のことをまったく知らない人ばかりの大学で、うまく人間関係を築いていけるのか。入学前、そして入学してからもしばらくは、そうした状況に少しだけ孤独感を抱いていた。
一方で、楽しみにしていたのは、親もとを離れての生活で自立を覚え、少しだけ大人に近づいた気分になれることだった。そこは初めてのひとり暮らしを経験した人ならば、うなずいてくれるのではないだろうか。
とはいえ、1年生の時は学生寮で生活していた。筑波大学にサッカー部専用の寮などはなく、さまざまな学部の人たちと一緒に暮らしていた。決して新しいとはいえない学生寮はひとり部屋だったが、5〜6畳程度で広いとは言いがたかった。
部屋には洗面台以外に、スチールのベッドと勉強机が置いてあり、それだけで圧迫感があった。それらをいかにレイアウトしたら部屋を広く活用できるか。工夫した結果、スチールベッドの柱(柵)を外してみたり、扉が全開にできない状態になるのを覚悟で、入口付近に物を置いたりしていたことも思い出す......。
2年生になるタイミングで寮を出て、本格的にひとり暮らしを始めた時は、少しだけ広くなった部屋に感動し、少しだけインテリアにこだわったりもした。それも今は懐かしい思い出だったりする。
学生寮は風呂とトイレ、洗濯機は共用で、食事つきではなかった。掃除や洗濯といった家事については、必要に迫られたらできる自信があった。親もとを離れて何より感謝したのは、やはり食事だった。
家に帰れば、何も考えずに食事が出てくるのと、その日の食事をどうしようかと考えなければならないのとでは、自分にかかる負担は大きく違ったからだ。
「今日のご飯、どうしよう」
まず、「何を食べようか」。また、「何を食べたら身体にいいのか」。
高校生までは親が自分の健康や身体を考えてくれていたので、食事のメニューまで考えなくてもよかった。その手間暇に気づいた時には、何度、親への感謝やありがたみを感じたことだろうか......。
夕飯はもっぱらサッカー部の練習を終えてから、部員たちと食事に行くのが習慣になっていた。当時は、定食だったらここ、そばやうどんだったらここ、洋食だったらここと、いくつか行きつけのお店があった。
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