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元日本代表監督ファルカン独占インタビュー。在任時「一番の決断は前園真聖の起用だった」 (3ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

若く優秀な選手たちにチャンスを与えた

 ラモス瑠偉もまた、日本のことをブラジルに広めた人物のひとりだ。彼の日本での冒険はブラジルでも有名だ。サッカーの黎明期に日本に行き、そこでスターとなり、ついには帰化して日本代表の中心選手になった。この物語は多くのブラジル人の心をつかんでいた。

 ただし、本当のところ、日本サッカーはどうなのか、どのくらいのレベルであるのか、それを知る者は少なかった。

 そこで私が日本に行って最初にしたことは、日本サッカー界で働く多くのブラジル人から、あらゆる情報を収集することだった。ジーコやラモスのほかにも、エドゥーやセルジオ越後などが力になってくれた。彼らのおかげで私は日本を知り、なにより最適な選手を代表に招集することができた。彼らにはこの場を借りてお礼を述べたい。彼らがいなかったら私の代表監督の仕事は成り立たなかっただろう。

 私はまた、Jリーグの全試合が見たかった。そこでJFAやJリーグの力を借り、すべての試合を録画してもらった。また私は毎節、ひとつの試合を選んで直接スタジアムに見に行った。すべてのチームを少なくとも2度は生で見るようにした。それ以外にも、私の信頼するスタッフが各スタジアムに行って、選手、監督、ピッチのコンディションに至るまでを報告してくれた。

 私はそれまでも多くの若手選手を代表に抜擢してきた。たとえばブラジル代表監督時代にはカフー、レオナルド、マルシオ・サントス、マウロ・シルバ、アジウソン、マジーニョなどを起用し、そのうちの何人かは1994年に世界チャンピオンとなった。だから私は日本でも同じことをしたかった。若く優秀な選手にチャンスを与え、代表として世界での経験を積んでほしかった。

 日本では山口敏弘、前園真聖、小倉隆史、岩本輝雄などを起用し始めたが、彼等もまたその後の日本サッカーに大きく貢献する選手に育ってくれた。

 私が一番いい決断をしたと感じていたのは、前園を代表の主力としたことだった。彼はすべての資質を兼ね備えた逸材で、ボールを持った時に何をすべきかをよくわかっていた。そうマエゾノ、20年たった今でも彼の名前はよく覚えている。たぶん日本のサッカー史のなかでも最高の選手のひとりだっただろう。山口のことは練習で見て驚き抜擢したが、ピッチでもその期待を裏切らなかった。

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