ファルカンが語る日本代表監督時代の思い出。「こんな代表は世界のどこにもない」

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

パウロ・ロベルト・ファルカンインタビュー(2)

 規律に対しては何の問題もなかった。日本の選手たちは私の言うことをよく聞いてくれ、ヒエラルキーを守り、何より我々が求めたことをピッチで実現しようと努力してくれた。こうした彼らの態度は私の仕事の大きな助けとなってくれた。

 成長したいという気持ち、どん欲に学ぶ姿勢、誰もが私の言うことを100%聞き入れてくれ、誰も「なんでそんなことをするのか」などと疑ったりしない。皆、私のことをリスペクトしてくれていた。この環境は指導者にとっては最高だ。彼らの目標は私のリクエストの実現であり、そのためには心身ともにベストを尽くす。彼らからはそんな気持ちが感じられた。

 このことは私をとても驚かせた。嬉しい驚きだった。こんな代表は世界のどこに行ってもないだろう。だからこそ私はこのチームでいい結果を出したい、なにがなんでも彼らを高みに導きたいと強く思ったのだ。ブラジルのチャンピオンであるジーコやドゥンガも、日本に対して同じ気持ちを抱いていたのではないだろうか。日本にないもの、我々は持っているが日本人にはないものを、私はこの国のサッカーにもたらしたかった。

 そのひとつが、ジーコもよく言っていたマリーシアだ。

「日本の選手にマリーシアというものが何なのかを、いつの日か理解させたい」

 彼はよくそう言っていた。日本人にはそういった考え方はなかった。別にラフなプレーをしろというのではない。ファウルでもない。ちょっとした時間の使い方、ものの考え方、そういったものだ(ただ、最近の日本のサッカーを見ていると、かなりそうした技は身につけてきているように思える)。

現役時代はブラジル代表でジーコらと「黄金のカルテット」を形成したファルカンphoto by Yamazoe Toshi現役時代はブラジル代表でジーコらと「黄金のカルテット」を形成したファルカンphoto by Yamazoe Toshiこの記事に関連する写真を見る 日本人が持っていないものを体得させるための計画が私にはあった。外国のチームと多くの親善試合をすることだ。その場合、相手は日本より強いチーム。そしてなにより居心地のいいホームであってはいけない。当時、日本円が非常に強かったこともあり、親善試合の多くは日本ホームで行なわれていた。たとえ強豪と対戦するチャンスがあったとしても、いつも場所は日本。それではいけないと私は思った。

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