ファルカンが語る日本代表監督時代の思い出。「こんな代表は世界のどこにもない」 (4ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

各クラブに代表合宿を要請

 しかし、忘れてはならないのは、すでに28年前から日本はそれができる素材を持っていたということだ。私のもとにいた、頭がよく、テクニカルで、優れたビジョンを持つ選手たちは、もっと早いうちにそれが実現できたはずだ。

 私が日本に「ゾーンプレスを導入したがっていた」という声もあるようだが、それは違う。私は決してゾーンサッカーをしたかったわけではない。何度も言うが、日本に来てまず印象に残ったのは、選手たちのスピードの速さだ。だから私は特にゾーンで守れとかマンマークをしろとは言わなかった。理想はそのふたつが自然にミックスされた状態だ。例外的に、この選手は危険だからはもっと貼りつけということはあったが、それは本当に特別な相手にだけだ。

 私がそういうサッカーを指導したことは、センターバックだった井原正巳に聞いてもらえればよくわかるだろう。井原自身が、毎試合ごとに「相手を研究したうえで、どのように守るかを決めるべきだ」と主張していた。ペナルティエリアの中ではゾーンディフェンスなどできはしない。また、日本の選手はゾーンディフェンスができないから、マンマークにしたなどと思うのも間違いだ。井原を筆頭に、私が知っている日本人のDFは十分に優秀で、私が望む守備を完璧にこなしてくれていた。だから私はいつも安心して彼らに任すことができた。

 テクニカル面に関しては、あまり時間がないのはわかっていた。そこで私は試合がない時にも代表合宿をしたいとJFAに申し出た。すべてのクラブに、選手がフリーとなれる数日をくれるようお願いした。数日間だけでも、それを何度も繰り返せばかなり違う。日本の選手たちは十分優秀なので、その短い時間でも進歩が見られるはずだ。

 実はブラジル代表監督時代にも、私は同じことを試みた。だが各クラブの協力は得られず、うまくいかなかった。ところが日本では、皆が協力的だった。クラブの監督にとってはチームのエースたちを代表に数日とられるのは、それも代表戦でもない時にとられるのは、嬉しいことではないだろう。でも日本のクラブは理解してくれた。日本人は本当に先を考えた聡明さを持っていると感じた。こうした協力のおかげで代表チームはより多くの練習時間を持て、調子も上がっていった。

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