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【プロ野球】金本知憲、黒田博樹、菊池涼介たちを見出した男・苑田聡彦のスカウト人生47年の真実

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

元広島スカウト・苑田聡彦インタビュー(前編)

 現役時代は「中西太2世」と呼ばれた強打で注目され、引退後は黒田博樹や金本知憲、丸佳浩ら数々の名選手を見出してきた慧眼のスカウトとして知られる苑田聡彦氏。選手、そしてスカウトとして球団と歩んできた、半世紀近いスカウト人生を振り返る。

専修大学時代の黒田博樹 photo by Sankei Visual専修大学時代の黒田博樹 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【現役時代は中西太2世と呼ばれた強打者】

── まず、苑田さんの選手時代のことをお聞きします。三池工高では原貢監督のもと、「中西太2世」と呼ばれた強打者でした。1964年に広島に入団し、4年目の67年に109試合に出場して107安打、打率.266でレギュラーの座をつかみました。

苑田 しかし68年のドラフトで山本浩二が1位指名され、私は根本陸夫監督に外野から内野へのコンバートを言い渡されました。「プロだから競争じゃないですか」と、翌年の春季キャンプまで契約更改せず抵抗しました。その後、内野守備コーチだった広岡達朗さんに手ほどきを受け、内野手に転向しました。

── 現役時代、一番思い出に残るシーンは。

苑田 やはり1975年の球団創設初の優勝です。ジョー・ルーツ監督が4月末に辞任し、5月4日から古葉竹識さんが監督に就任しました。私が30歳の時、最下位ばかりだったチームが初めて勝利の美酒を味わったのは感動でした。

── なかでも、「このワンプレー」というのはありますか。

苑田 この年の5月17日の大洋(現・DeNA)戦で、開幕から6勝1敗と絶好調だった間柴茂有投手から先頭打者本塁打を放ち、チームを首位へと浮上させた試合が特に印象深いですね。

── 引退の翌年(78年)からスカウトに転身したのですね。

苑田 アドバイスしていた木下富雄が伸びてきたこともあって、引退したらコーチをやりたいなと思っていたんです。しかし東洋工業(現・マツダ)出身でサッカー日本代表にもなった重松良典球団代表から『子どもはいないのか。借金はないのか。なら、今から東京に行ってマンションをひと部屋探してこい。東京在住のスカウトがいないんだ』と、辞令が出ました(笑)」

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