【プロ野球】数字では測れない選手の魅力を追い続けた47年 元広島の名スカウトが語る人を見抜く力の源泉
元広島スカウト・苑田聡彦インタビュー(後編)
契約金の多い球団よりも、「自分を見てくれた人」を選んだ。それが広島東洋カープのスカウト・苑田聡彦の原点だった。半世紀にわたってドラフトの現場に立ち続けた男が語る、数字では測れないスカウトの真実とは。
広島のスカウトとして47年にわたり選手獲得に尽力してきた苑田聡彦氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【契約金が一番少ない広島を選んだワケ】
── 三池工高時代、6人兄弟の家計を助けるためにプロ野球を志望。しかし、9球団のスカウトが見に来るなか、苑田さんが選んだのは契約金が一番少なかった広島でした。
苑田 いつも自分を見てくれているスカウトが久野久夫さんでした。スーツを着て、ハンチング帽をかぶった姿がカッコよかった。一度も話したことがなかったし、広島のスカウトとは知りませんでした。直感だったのでしょうね。ちなみに、私のプロ入りは1964年で、ドラフト制導入は翌年からでした。
── 1970年、苑田さんが外野手から内野手にコンバートされた時、最初はサジを投げた内野守備コーチの広岡さんが、突如上達した苑田さんを見て「人は必ずうまくなる。それが早いか、遅いかの違いだけ。苑田から指導者としての心構えを学んだ」と言った話は有名です。
苑田 当時、一塁には強打の衣笠祥雄、二塁には古葉竹識さん、三塁には阪神から移籍の朝井茂治さん、遊撃には強肩の今津光男さんがいました。
── 広岡さんに具体的に何を教わったのですか。
苑田 まず、毎日キャッチボールを1時間ぐらいやらされました。送球の正面に入って捕り、相手の胸に投げる繰り返しです。しかも、投げる態勢で捕る。ノックは緩い正面のゴロ捕球でした。そのうちに少々のイレギュラーバウンドなら簡単に捕れるようになったのです。ひとりの時は、フェンスの前に石ころをまいて、イレギュラーに反応する練習もしました。
── 基本を大事にしていれば、時間がかかってもうまくなるという経験は、のちのスカウト活動にも生きたのではないですか。
苑田 はい。選手を獲得するうえで、大いに役立ちましたね。
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