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【プロ野球】数字では測れない選手の魅力を追い続けた47年 元広島の名スカウトが語る人を見抜く力の源泉 (4ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 現在は情報網が発達し、いわゆる「隠し玉」は少なくなっているように思います。

苑田 今はいろんな手段で試合が見られますし、プロに行きたい高校、大学生は「プロ志望届」を出さなければいけないですから、最終的にその選手だけ調査しにいけばいいわけです。だから、隠し玉は減っていますね。試合にあまり出ていなくても、練習を見て「この子はきっとやれる」という確信のもと、プロ志望届を出した選手を下位で指名できるかどうか。

【スカウト冥利に尽きる瞬間とは】

── スカウト冥利を実感するのは、どんな時ですか。

苑田 私は選手がプロ入りする時に、必ずこう言って釘を刺します。「監督が試合で使ってくれないとか一切言うな。一生懸命やれば、監督は必ず使ってくれるものだ。試合に出られなかった時は、それはおまえに力が足りていないということだ」と。

── プロなら言い訳をするなということですね。

苑田 選手が引退する時、「やり残したことはないか?」と聞きます。「一生懸命やりました。あまり試合には出られませんでしたが、自分をプロ野球の世界に誘っていただきありがとうございました」と言われた時はうれしかったですね。そんな言葉をもらった時は、スカウト冥利に尽きます。

── スカウトとしての座右の銘はありますか。

苑田 「選手に惚れろ」です。スター性、将来性のある選手は、後ろ姿を見たら大体わかります。その選手に惚れ込めば、何度も見に通うことになります。そうすればスカウトの気持ちは、選手に通じると思います。


苑田聡彦(そのだ・としひこ)/1945年2月23日生まれ。福岡県出身。三池工高から64年に広島に入団。4年目の67年、自己最多の109試合に出場。貴重なバイプレーヤーとして75年の球団初優勝に貢献。77年に現役を引退し、78年からスカウトに。2006年にスカウト部長となり、その後、スカウト統括部長、24年にスカウト部顧問となり、25年2月に80歳になったのを機に野球界から引退した

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