ヤクルト丸山和郁がプロ3年目のレギュラー奪取 「どうすれば打てるのか...」を追い求めた試行錯誤の日々 (4ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

 丸山は「今は開き直って打席に立てているのがよかったのかな」と話し、こう続ける。

「これまでやってきたことを、自分のなかで初めて信じられているというか......。一軍だからといって力む必要はないし、ファームでやってきたことをそのまま出せばいいんだと。それで打てなかったら、また考えようと思えたんです。もちろん、ヒットが出なくて『どうしよう、どうしよう』という日もありましたし、真っすぐに振り負けないと思ったときにまだ力が入る打席があるので、そのへんはまだまだですね」

 この先の戦いで、大事にしていくことは何かと尋ねると、丸山は「まずはケガをしないこと」と言った。

「これだけ試合に出続けるのは3年目にして初めてのことなので、未知数のことが多く、自分のコンディションというところで、どこでブレーキをかけ、どこまで攻めるのかを考えながらやっていきたい。そして、凡打やエラーをしても、新しい瞬間はどんどんどんどんやってくるので、下を向かずに反省して、次に生かしていきたいと思っています」

 バットを肩に担いだり、体を沈めたり、いろいろなフォームを模索した丸山だったが、いま打席に立つ姿には力みがなく、まさに"自然体"という言葉がぴったりはまる。そうしてヒットが生まれるときは、バットとボールが出会うべくして出会ったような印象が強い。タイミングがしっかり取れているからだろう。

「タイミングは自分主導で仕掛けているようにしていますが、もちろん相手にも合わせていきます。矛盾してしますが(笑)。今のところは、それでいろいろなピッチャーに対応できていると思います」

 5月12日の巨人戦神宮では『1番・センター』で先発。3打数無安打に終わるも「プロに入って初めて申告敬遠をされました(笑)」など、2つの四球を選んでその役割を果たした。打率も.34775打数26安打)と、高い数字を維持している。

「とくに数字は意識していません。数字を見てしまうと力みにつながるので、今は目の前の1打席、1打席に集中しているだけです」

 シーズンは始まったばかり。この先、丸山がどんなバッティングをするのか、注目して見ていきたい。

プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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