中田翔が語るプロ17年目の覚悟「野球人生のラストスパート。結果がダメだったら辞めるだけ」 (3ページ目)
── 昨年はケガもありましたが、その後はなかなか試合に出られない日々が続きました。これまでのキャリアでも難しい経験だったのではないですか?
中田 昨年はもちろん自分の力不足もあったんですけど「今日の試合、出られるのかな」ということろからのスタートで、代打の1打席でホームランを打っても、次の試合でスタメンになれるわけじゃない。もちろん、チームとしての方針やいろんな事情が重なっていたということも理解していましたし、プロが勝負の世界である以上は仕方のないことだとは思うんです。
ただ次の年に新しい気持ちで頑張ろうという時に、ハッキリと「ファーストは岡本の固定でいく」というコメントがありました。僕自身、レギュラーとして試合に出続けることが無理だなと感じているのであれば、残りの契約の2年分ジャイアンツに残ってプレーをすることもあったでしょう。そういう決断に至らなかったのは、やっぱり「まだ試合に出たい」「打席に立ちたい」という気持ちが素直にあった。そこはもう自分自身を信じるしかないと、チームを出る決断を下しました。
── 今年はジャイアンツと、岡本選手との直接対決もあります。
中田 ヘンな気持ちは一切ないです。移籍が決まってから、和真とも「対戦するのが楽しみだね」っていう話もしましたし、負けたくないなって気持ちはもちろんありますし、なんというかこう......燃えてくるものも、もちろんありますけど、やっぱり楽しみというほうが大きいですね。それは同じく移籍してきた中島さんも同じだと思います。
中田翔(なかた・しょう)/1989年4月22日、広島県生まれ。大阪桐蔭高から2007年のドラフトで日本ハムから1位指名を受けて入団。プロ4年の11年にレフトのレギュラーをつかみ、12年は全試合出場を果たす。14年に打点王のタイトルを獲得し、15年には自己ベストとなる30本塁打、102打点をマーク。以降も主軸として活躍するも、21年8月に同僚への暴力行為が発覚し無期限出場停止となっていたが、数日後に巨人への交換要員なしでのトレードが発表された。22年はシーズン途中から4番を務め、一塁でゴールデングラブ賞を獲得するなど活躍し、新たに3年契約を結んだ。だが23年は出場試合数が激減し、シーズン終了後に自らオプトアウトを選択して巨人を退団。その後、中日への移籍が決まった。
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著者プロフィール
村瀬秀信 (むらせ・ひでのぶ)
1975年生まれ。神奈川県出身。茅ケ崎西浜高校野球部卒。主な著書に『止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自撰集』、『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ 涙の球団史』、『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』など。近著に『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』がある。
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