中日・江藤慎一は水原茂監督に土下座も許されず。仲裁に向かった張本勲には「お前、入るな」 (7ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by 産経新聞社

 当時一軍マネージャーだった足木敏郎の著作(『ドラゴンズ裏方人生57年』中日新聞社開発局出版開発部刊)によれば、先発を外されて、ロッカーから、大声で監督を批判する江藤の声は監督のいるベンチにまで聞こえていた。「勝つ気があるんか」「なぜ、あんな奴を使うんじゃ」水原は耳に入れながら、何も言わずにじっと耐えていた。しかし、シベリアの極寒のなかを耐え抜いた誇り高い指揮官の怒りは内面で沸点に達していた。

 シーズン終了後、水原は親会社に江藤の放出を希望すると申し入れ、中日新聞側もこれを受諾した。中部財界を後ろ盾にした大物監督についてはその意向を全面的にバックアップすることが約束されていた。

 ここに至って江藤は猛省を余儀なくされた。中日以外の球団でプレーをすることはまったく考えていなかった。

 11月24日、江藤は東京都目黒区緑が丘の水原の自宅を訪ねた。無礼や越権の行為についての謝罪を述べ、玄関口で膝を折り、両手をつけて頭を地面に頭をこすりつけた。土下座である。しかし、水原の意志は変わらなかった。「君のトレードはチームが決めたことだから」土下座は財界の人間からスタンドプレーだと揶揄された。

 これらの状況のなかで張本もまた親友のために動いた。同じく水原の自宅を訪ねて行った。張本はこんなふうに問題を腑分けしてみせた。

「水原さんは、巨人も東映も日本一に導いた。慶応ボーイで日本の経済界の重鎮とも人脈があった。片や慎ちゃんは中日一筋の叩き上げ。選手仲間が不満を言ったら、『よしわかった。俺が言ってやるよ』とああいう性格ですからね。『いくら大監督か知らんけど、野球やるのは選手や』そんな気持ちがあったらしい。慎ちゃんの副業の自動車工場も『これがいい』と思ったら、さっさと開業して突き進む性格だからね。昔、東映フライヤーズに山本八郎さんという私の浪商の先輩がいたんですよ。わがままじゃないけど、お山の大将でね。それを水原さんは、毅然として二軍に落とした。あの時と似ているなあ、何とかならないだろうか、と思って目黒の緑が丘の親父さんの家まで行きました。でも玄関口で『お前入るな』と言われました。『山本八郎のこと、覚えているだろう』と。どっちにしても水原さんはチームで戦う人で、折れる性格ではないですからね。だから、切っていくわな」

 1969年12月3日。ついに江藤にトレードが通達され、マスコミにも発表された。

 チームの若返り、体質改善、投手陣強化のためにトレードに出すという名目であったが、具体的に意中の交換相手がいたわけではない。いわんや、大型トレードはむしろ秘密裏に進められることが、常識である。巨人、ロッテ、広島、サンケイからも獲得の意思があると報じられたが、晒し者にするように新聞紙上で公開されたのは、まず江藤の退団ありきであったからに他ならない。そもそも「中日で終わりたい」と常々言っていた江藤が引退してしまえば、四番を失い、交換相手も消滅する。改革ではあったが、補強のためとは言い難いものであった。

 また同日、葛城隆雄のトレード、板東英二がユニフォームを脱ぐことも伝えられた。板東はスカウトへの転進が勧められていた。

 板東は肘がもう使いものにならなくなっていたので、自身は納得しての引退であったが、江藤の放出については、著作のなかで軽い筆致ながらも、今で言うパワハラではないかと批判している。

「このときのことを冷静に考えてみると、やっぱり水原さんの方に非があった思うわ。いくら力のある監督いうても、そこまで選手に理不尽なことしたら、選手はついていきまへんで」(『プロ野球知らなきゃ損する』青春出版社刊)

 トレードを通達された江藤は、直後の取材で「野球をやっていたおかげで事業(江藤産業、江藤自動車、南紀産業)もできた。人は事業をやっていたからマイナスになったというが、私はたとえ最初は事業の二軍選手でもきっと人一倍の努力をして、四番打者になってみせる」「でもあと3年は3割、25本、80打点の自信はある」と語った。

 江藤は11年間で1484安打、本塁打268本、打点845の記録を残した。現役を続ける自信はあったが、"中日の江藤"でいさぎよく辞める覚悟を決めていた。

 12月26日、江藤は、未練を絶つようにトレードを拒否し、(現役に復帰する際は、引退当時の球団以外には行けないという)任意引退の道を自ら選んだ。

(つづく)

【筆者プロフィール】木村元彦(きむら・ゆきひこ)
ジャーナリスト。ノンフィクションライター。愛知県出身。
アジア、東欧などの民族問題を中心に取材・執筆活動を展開。
『オシムの言葉』(集英社)は2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞し、40万部のベストセラーになった。ほかに『争うは本意ならねど』(集英社)、『徳は孤ならず』(小学館)など著書多数。

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