「クレメンテと話さなければ、今の活動はなかった」 村上雅則が知った「社会のために生きる」という使命
ロベルト・クレメンテのDNA〜受け継がれる魂 (全10回/第2回)
1965年夏、ピッツバーグのフォーブス・フィールドで交わされた、ロベルト・クレメンテと村上雅則氏のたった一度の会話。その何気ない出会いは、時を超えて、日本人メジャーリーガー第1号となった男の人生を大きく動かしていくことになる。
MLB通算3000安打の記録を残したロベルト・クレメンテ photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る
【クレメンテと交わした会話】
1965年の夏、現在のパイレーツの本拠地であるPNCパークの二世代前にあたるフォーブス・フィールドでのこと。試合前の練習を終え、暑さをしのごうとタオルを首に巻いて外で涼んでいたところ、マッシーこと村上雅則氏はロベルト・クレメンテから声をかけられたという。そこで交わされたふたりの会話は、どこかコミカルで、思わずクスッと笑ってしまうものだった。
「ヘイ、マッシー! オレはロベルト・クレメンテだ!」
「よくわからねぇな。知らねえよ」
「オレとメイズ、どっちが上だ?」
「そりゃメイズだよ」
メイズとは、1960年代を代表する名選手、ウィリー・メイズのこと。走・攻・守すべてに優れたファイブツールプレーヤーとして、MLBの歴史上でも最上位に位置づけられる存在だ。村上氏とはサンフランシスコ・ジャイアンツの同僚であり、ふたりの会話が交わされた1965年には、メイズはキャリアハイとなる52本塁打を放っている。
かたやクレメンテも負けてはいない。同じ年、首位打者に輝いている。にもかかわらず、村上氏は当時、クレメンテのことを知らなかったという。
「だって当時はメジャーの情報が日本に入ってきていなかったんだから。ハンク・アーロンでさえ知らなかったよ。それにね、オレたちの時代はスコアボードに名前が表示されないんだ。出ているのは守備位置と背番号だけ。これじゃ誰が誰だかわからないだろ?」
余談だが、クレメンテはメジャーデビュー直前の1954年から55年にかけての冬、メイズとチームメイトだった。ふたりが所属したプエルトリコのサントゥルセは国内リーグを勝ち抜き、カリビアンシリーズに進出。見事優勝を果たし、ふたりはその喜びの美酒を共に味わっている。
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著者プロフィール
加藤 潤 (かとう・じゅん)
1974年生まれ。東京都出身。中日ドラゴンズ通訳。北海道日本ハムファイターズで通訳、広報、寮長に就いたのち、2011年から現職。シーズン中は本業をこなしながら、オフには海外渡航。90ヶ国を訪問。稀に文章を執筆。過去にはスポーツナビ、中日新聞、朝日新聞デジタル版に寄稿。またコロンビアのTV局、テレメデジンとテレアンティオキアに話題を提供。現地に赴き取材を受ける










































