3000本のヒットよりも尊いもの 「国民的英雄」と呼ばれるロベルト・クレメンテの最後の旅
ロベルト・クレメンテのDNA〜受け継がれる魂 (全10回/第1回)
プエルトリコ出身の野球選手、ロベルト・クレメンテは、3000本安打という栄光の直後に、命をかけて救援に向かう途上で帰らぬ人となった。だがその精神はいまも世界中に息づいている。カリブ、中米、日本──。クレメンテの軌跡とそれに呼応する者たちの姿を、中日ドラゴンズで通訳を務める加藤潤氏が追った。
ロベルト・クレメンテの直筆サインを持参してくれた村上雅則氏 photo by Kato Junこの記事に関連する写真を見る
【野球界を揺るがした悲劇】
「彼は僕の国のナショナル・ヒーローだよ」
2023年10月、ドミニカ共和国のサンフランシスコ・デ・マコリス球場で、ある同僚がふと口にした言葉が、この連載の出発点となった。
この年、中日ドラゴンズはウインターリーグに選手を派遣していた。私も通訳として、ヒガンテスというチームに帯同していたが、そのロッカールームで隣に座っていたのが、ニカラグア出身のロナルド・メドラノだった。ダルビッシュ有を理想の投手像として敬愛する右腕が、その時に語った人物こそ、この連載のテーマの核心となるロベルト・クレメンテだ。
プエルトリコ出身で、ピッツバーグ・パイレーツが誇る偉大なフランチャイズプレーヤーであるロベルト・クレメンテは、生涯で3000本ものヒットを積み重ねた。そして、その3000本目のヒットからわずか3カ月後、野球界を揺るがす悲劇が起きる。
1972年12月23日、ニカラグアの首都マナグア近郊でマグニチュード6.3の地震が発生。耐震基準がほとんど存在しなかった同国の建物は次々と倒壊し、震央付近の断層も大きく裂け、約1万人もの犠牲者を出す大惨事となった。
1964年、初めてニカラグアの地を踏んだクレメンテは、当初からこの国に深い愛着を抱いていたという。地震が発生するわずか3週間前には、マナグアで行なわれたインターコンチネンタル大会にプエルトリコの代表監督として参加していた。そして帰国して間もなく、地震が発生した。
クレメンテは救援物資を送ったものの、腐敗した政権によって被災者のもとに届かないことを知り、憤慨。ついには自らチャーターした飛行機に支援物資とともに乗り込み、現地へ向かう決意を固めた。
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著者プロフィール
加藤 潤 (かとう・じゅん)
1974年生まれ。東京都出身。中日ドラゴンズ通訳。北海道日本ハムファイターズで通訳、広報、寮長に就いたのち、2011年から現職。シーズン中は本業をこなしながら、オフには海外渡航。90ヶ国を訪問。稀に文章を執筆。過去にはスポーツナビ、中日新聞、朝日新聞デジタル版に寄稿。またコロンビアのTV局、テレメデジンとテレアンティオキアに話題を提供。現地に赴き取材を受ける










































